子供の時分からはっきりと「これは夢だ」と、そうわかる明晰夢を度々みた。
夢だと理解しながらも起きる頃には内容はあんまり覚えていない、そんな意味も形もない夢がほとんどだったが、起きたあともはっきりとおぼえている夢が何個かある。
それが金言(きんげん)姉さんが出てくる夢だ。
最初にそのひとが出てきた夢の中では、自分は真っ暗な深夜、街灯のおぼつかない光と少し離れた赤信号、それしかない横断歩道で信号が青に変わるのを待っている、そんなシーンから始まった。
お気に入りのカーキ色のコートを着てとても冷たい風が吹いていたから季節は冬。
けれど子供である自分が親もいないのに、一人で深夜に出歩くことなどできるはずもない。
それに今は窓を開けても寝苦しいと感じはじめる初夏だ。
その二つから、これは夢だなと考え結論づけた。
夢を夢と知りつつみるのは、起きたあと内容は朧げなものの、とても楽しかった、面白かった、という高揚感が残ることが多かったから、今回の夢も「一人で夜の街を散歩する楽しい夢なんだろうなぁ。起きたらおぼえてないけど」とか思いながら、ぼーっと信号が青に変わるのを待っていた。
それは唐突に現れた。
ふと自身の空いてる左方向を見たら、離れたところに女の人が立っていた。
髪が長く、俯いて顔は見えない、黒い女性もののコート、やけに目につく赤いヒール。
何もない広い道路なのにも関わらず、歩いてくる姿は何故か全く見えなかった。
まるで元から此処にいたかのように、気付かなかったお前が悪いのだと言わんばかりに唐突に現れた。
けれど夢だと理解している自分は「まぁ夢だしこんなこともあるよね。幽霊みたいなひとだなぁ」とか平和ボケが過ぎることを考えていた。
多分夢だから覚めるし、ましてや自分の夢が自分に悪意を向けるなんて考えてもいなかったんだろう。
悪夢というものもあると、知識でしか持ってなかったそんな子供の慢心は、
瞬きしたらヌーっと立っている状態から一ミリも体を動かさず瞬間移動をしてどんどんこちらに近づいてくる女を見て粉々に砕かれた。
立った姿のまま近づいてくる?! もしかしてこれはヤバいやつなのでは?! とようやく気づいた。
けれど自分の身体は動かない。夢だとわかってはいるが意思を持って自由に身体を動かせた試しは今まで無かったからだ。
頭は早く走って逃げるべきだと警報を鳴らしている、心臓もドクドクドクと速く脈打ちはじめたが、夢の中の自身は律儀に赤信号で止まっている。
もう女は目前まで来た。
腕をとても強く掴まれた、本当に怖くてたまらずウワあアァーーと叫んだ。
恐怖で、はじめて自分の意思で夢の中で行動出来た瞬間だった。
女性は笑った。
サプライズが上手くいったような、本当に楽しそうな声でうふふふと。
その声を聞いて「あ、このひとはこわいものではないな」と何故だかわかった。
瞬間的な恐怖も、薄ら寒い何かも確かに感じたのに、ただただ驚かす為だけにそれを使ったんだなと、その人の優しい笑い声だけでなんとなく思った。
「ごめんね、驚いた?」
掴んでいた腕を離しつつ女性はそう言った。
長い髪で覆われて顔は見えないがニコニコと笑っている雰囲気は感じた。
しかし自分は恐怖と驚きで何も言えなかった、心臓はいまだ早鐘を打っていた。
「これ、あげる。明日は早く家に帰りなさい」
そう言って何故か一万円札を握らせてきた。訳が分からなかった。
こちらが何かいう前に、走って夜の闇に消えていった。
いつの間にか横断歩道の信号は青に変わっていた。わけがわからなかった。
「なんだ、これ……」
夢の中の自分が呟いたと思ったら、もう朝だった。
起きたあとも頭の中は困惑のはてなマークがびっしり。身体は冷や汗と恐怖によるひどい動悸。
これだけではただのユニークな悪夢だが、それだけではなかった。
あの女性が去り際に一万円札と共に残した「早く家に帰れ」という言葉に素直に自分は従い、学校が終わったら真っ直ぐに家に帰った。
そしたら、珍しく家に祖母が遊びに来ていたのだ。
祖母に遊んでもらい、しかも「お父さんとお母さんには内緒よ」と言われてたいそうなお小遣いも貰ってしまった。
そこからごく稀に同じ女性が出てくる夢を見るようになった。
共通するのは、後ろから猛烈に追いかけまわす、まるで家族の一員かのように日常に紛れるなど必ず夢の中で怖いおどろかしをしてくること、そして違う道を使って学校に行け、コンビニに行ってみなよ、みたいなありがたい一言をくれること。
言葉に従って行動してみると、気になっていた子と会えたり、クジで一等が当たったりと自分にとって良いことが必ず起こった。
彼女が出てくる夢は恐らく自分の吉夢なんだろう、けれど驚かしが苦手な身としては、毎度恐怖で心臓がバクバクになるので、もう少しオブラートに包んだ伝え方をして欲しいと夢の中で願うのだ。
怖いとも怖くないともどっちつかずな自分の体験談。