私の母は信心深く、近所の尼寺へお参りと掃除などの奉仕へよく出かけていました。
寺の庵主さまは大変に慕われているし、信者さんたちとのお喋りなども楽しいようでした。
ところが、ある時を境に母がその尼寺へ出向かなくなったのが心配で、私は理由を訪ねたのです。
母は言い渋っていましたが、やがて、「いやなものを見た。しばらくは近づきたくない」と表情を曇らせました。
母の話したことを書きます。
信者のAさんは60代くらいの方で、その頃、日を追うごとに元気がなくなっていました。
境内の掃除をしながらポツリポツリと、Aさんは話したそうです。
「学生時代からの親友が病気で亡くなったんですよ」
あぁ……そういうことだったか、と納得しかけたところに、「本当に、あんな事しなきゃよかった……」と、Aさんは続けました。
亡くなった親友は、ある市松人形を幼いころから可愛がっていたそうです。
おかっぱ頭をなで、名を呼び話しかけ、手縫いの着物を何着も着せ替えて大切にしていたのをAさんは知っていました。
その人形を残していくのが辛く、一緒に棺に入れてもらうかどうか……最後まで迷っていましたが答えを出さないまま亡くなりました。
市松人形は結局、棺に入れられることはありませんでした。
Aさんが、親友の形見として市松人形をもらい受けたのです。
しかし、異変は、すぐ起きました。
人形がじっと目で追ってくるような気がしたり、優しげだった表情も悲しげであったり怒っていたり感じられました。
部屋を出入りすると、決まって棚の上から落ちてもいました。
親友の形見はAさんにとって、既に不気味な人形でしかなくなってしまいました。
その話を聞いた母は、人形の怪談ではよく聞く内容だし、正直なところAさんの先入観からきている勘違いだろうと思ったそうです。
そんな話をしてから少したった頃、寺を訪れた母は、帰ろうとしていたAさんに行き会いました。
哀れなほど、やつれていました。
Aさんは、あの人形のせいで眠れなくて辛いのだと言いました。
ある時Aさんが部屋に入ると、案の定、人形は床に転がっていて、怒りが湧いてきたといいます。
気味悪く思いながらも乱暴に人形をつかみ上げ、一瞬、人形の顔を見やったAさんは、思わず人形を放り投げました。
小さな口が、開いていたのだそうです。
「もう、庵主さまにお願いする他なくなってさ」
Aさんの言葉を、何だか信じられない話だと思った母は、怖いわね、とだけ答えて別れました。
境内の掃除を終えた母が、ご挨拶をして帰ろうと庵主さまを探していると、奥から物音がしました。
庵主さまがお住まいの部屋のほうへ向かうと、随分と大きな音がしています。
ガタッ! ガタガタ! ガッタン、ガッタン!
床板に硬いものをぶつけたり転がしたりしているような音です。
何をしているのか判らないものの、母は庵主さまに声をかけました。
「何かお手伝いすることはありますか?」
ピタリと音は止みましたが、返事はありませんでした。
不審に思った母は、襖をそっと開けて中をのぞき、そして、見たのです。
床の上に横倒しになっている木の椅子を。
その椅子に、針金でグルグル巻きにきつく括り付けられている市松人形の白い顔を。
あっけにとられている母の鼻先で、ストンと襖が閉められました。
いつの間にか横に立っていた庵主さまが、ゆっくり頷き「今夜はお経をあげて、明日お焚き上げをします」と、静かにおっしゃいました。
それ以上、庵主さまは何もおっしゃらなかったし、母も何も訊けなかったそうです。
だいぶ月日がたってから再び、母が寺を訪ねると、Aさんは来なくなってしまっているとのこと。
あの庵主さまは別の寺へお移りになり、新しい庵主さまがいらしたようです。
母は、その尼寺へはもう行っていません。