頼子ちゃん

小学校に入学したばかりの息子の誕生日を祝いながら、ボクはあることを思い出していた。

小さい頃、ボクは体が弱く、病院の先生からは「ハタチまで生きられないかもしれない」と言われていたらしい。
…らしいというのは、ボクがハタチの誕生日を迎えた時に、母親から涙ながらにそのことを聞かされて初めて知ったからだ。
確かにボクは小さいころ病弱だったけれど、まさかそこまでひどい病状だったなんて、
それまで一度もそんなことを言われたことがなく、 今にして思えば両親はボクの病気の事を隠して、懸命に支えてくれていたんだな、と思う。
その事にはもちろん感謝している。
こうして自分自身が親になってみると、やっぱり子供の幸せな未来を夢見るのが親というものなんだなと、 改めて実感がわいてくる。
ただ、ボクも実は両親には隠していたことがあった。
それは「頼子ちゃん」の存在だ。

確かあれは十一月も終わろうとする頃だったと思う。
小さなボクを連れてS大学病院を訪れた母は、 その帰りに教会の前で足を止めた。別にクリスチャンではないのだが、教会はもうすぐやってくるクリスマスの準備で
キレイにイルミネーションで飾られ、しかもこの日はバザーが開かれていたのだ。
信者の人たちが持ち寄ったのか、教会はまるでフリーマーケットの様相。
教会とつながるキリスト教系の高校からも応援がきており、屋台も出ていて学園祭のような賑わいでもある。
「ねぇ、ちょっと見ていこうか」と母は目を輝かせてボクを誘ってきた。
うれしそうな母の顔を見てボクも喜んで教会に足を踏み入れた。
しばらくして、やはりというか、体力のないボクにバザーを見て回る力はなく、 ボクはすぐさま座れるところを探して一休みすることにした。

そこは教会である。
信者の人たちが座る場所がいくらでも用意されていた。
ボクは母に「ここにいるから見て来ていいよ」と言ってあげた。
いつものことである。もう慣れっこだ。
しばらくひとりで椅子に腰かけ、ぼんやりとステンドグラスやキリストの像を眺めていた。
キレイなものである。 と、ステンドグラスから射す木漏れ日のような光の中に、ひとりの少女がたたずんでいるのが見えた。
薄暗がりの中からゆっくり現れた彼女は、自分と同い年くらいに見えた。
病弱だったボクと同じように白い、 まるで透き通っているかのように、うっすらと光っているように見えた。
彼女はボクのそばまで静かにゆっくりと近づいてきた。
きっとこの子もボクと同じで、お母さんが買い物から戻るのを待っているんだろうな…。
そんな風に思っていた。
「こ…こんにちは。お母さん待ってるの?」と聞く僕に、静かに首を振る少女。
どうしよう…。女の子とおしゃべりしたことなんかないから、何を話せば良いのかわからない…。
「な…名前はなんて言うの?」と聞くと、また静かに首を振る少女。
「名前…わかんない」
消え入りそうな声で少女がつぶやく。
「えっ?名前わからないの?」
ボクは驚いたのと同時に 突飛なことを言い出した。
今思えば子供だったからと言い訳したいのだが、 ボクはその時「じゃあ、名前を付けてあげるよ!」と言ってしまったのである。
いろいろ考えた挙句に付けた名前が「より子ちゃん」であった。
なんのことはない、前の日にテレビで見た映画の中に出てきたヒロインが「頼子」という名前だったのだ。
「じゃあキミの名前はより子ちゃんにしよう」
そう言うと、少女の顔はパァっと明るくなり、笑顔がこぼれた。
ボクは何か一緒に遊ぶものは無いかと考え、お父さんにもらった小さな万華鏡のキーホルダーをポケットから取り出し
「ほら、ここからのぞいてごらん。キレイだよ」と言ってより子ちゃんに手渡した。
万華鏡をのぞいてしばらく呆けている彼女。それをまた返してもらってボクも見る。
貸したり返したりしながら時間が過ぎていく。
なんとなくだけど、僕らの周りだけ少し光っているような気もするし、十一月だというのになんとなく暖かい。
暖房のせいだけではないよな気がする。
より子ちゃんと一緒にいると、なんだか暖かい気持ちになってくる。

そうこうしていると、母親が戻って来た。
そんなに時間はたっていないが、いそいで見て回って お宝をゲットしてきたらしく、ホクホク顔である。
「もう帰らなくちゃ…」
そう言いながらより子ちゃんの方を振り向くと、より子ちゃんはもういなくなっていた。
母親に手を引かれながら何度も振り返るが、より子ちゃんの姿を見つけることはできなかった。
ボクは突然できて、そしてさよならもいえなかったガールフレンドの事を母親には内緒にした。
なんとなく恥ずかしかったからだ。

そしてなぜかその日から、ボクの体調は少しずつ良くなって行った。
次により子ちゃんに会ったのはその翌月、まさにクリスマスイブの日である。
S大学病院からの帰り道に、今度はボクが母親におねだりをして教会へ寄ってもらったのだ。
クリスマスのハデなイルミネーションだけではなく、教会の中はあたたかな色の照明が照らされ、 高校生らしき合唱隊の讃美歌が響いている。
ボクと母は中に通され、それを鑑賞することができた。
しばらく讃美歌に聞き入っていたその時、ボクの隣にスっとより子ちゃんが現れたのだ。
思った通り、やっぱり教会でまた会うことができた。
そしてクリスマスイブである。
ボクは密かに用意していたプレゼントをより子ちゃんに手渡した。
そうはいっても、女の子に何をあげれば喜ぶのかよくわからなかったボクは、
当時自分がハマっていた 鉱石採集セットの中から、かわいいピンク色のローズクウォーツを持ってきて、それをプレゼントにしたのだ。
しばらく目の前にローズクウォーツをかざして見て、笑顔になるより子ちゃん。
「よかった気に入ってくれたみたい」
それからより子ちゃんはボクの隣に座り、ボクの手をずっと握っていた。
あたたかい空気に包まれている気がする。
母とボクとより子ちゃん3人で並んで静かに讃美歌を聞いていた。
なんだか世界がとても美しく感じられた。
でも、母にはより子ちゃんが見えないのだろうか?まるで気づくそぶりがない。
それでもかまわない。
ボクは深く静かにこの暖かい世界にまどろんでいた。

「ほら、もう帰るわよ。起きて」
母親の声でボクは目を覚ました。
どうやら少し眠ってしまったらしい。 より子ちゃんもいなくなっていた。
ローズクウォーツはなくなっている。より子ちゃんが持ち帰ったのは間違いない。

ボクの体調はそれからさらによくなり、元気に走り回ることもできるようになっていった。
それから何度かより子ちゃんと会うことが出来た。
買ってもらった自転車で教会まで行くと、 教会の外で待っていてくれることもあった。
が、教会の門から外に出ようとはせず、いつもそこでお別れとなった。
「外はコワイ」と言うのだ。
ボクはその後もどんどん体調がよくなり、それまで体を使って遊べなかった反動からか外で運動することが楽しくなり、 しだいに友達もたくさん増え、中学生になるころにはいっぱしの「男子」になっていた。
だから、頼子ちゃんと会う機会はだんだんと自然に減っていったのだが、ある日決定的なことが起きた。
押し入れの中を片付けている時に、小学生時代にハマっていた鉱石採集セットが出てきて、あの頼子ちゃんとの クリスマスイブのことが思い出された。
ボクは急に会いたくなって、久しぶりに自転車で教会まで行くことにした。

雲行きが怪しい。なんとなくもうすぐ雨が降りそうなそんな天気だ。急ごう。
教会の門をくぐってしばらく待ってみる。
小さな声で「頼子ちゃん」と呼んでみる。 しばらくすると頼子ちゃんがスーッと静かに横に現れた。
そしてこの時、あることに気付いてしまった。
初めて出会ってから数年がたち、自分はもう中学生で背も伸びたのに、頼子ちゃんは昔のままの小さな少女のままなのだ。
その事に今更ながら気が付いて、自分の中に強い違和感を感じてしまった。
いや、その可能性は薄々気付いていたはずなのに、信じたくない気持ちがそうさせていたのか… ボクは頼子ちゃんに質問をした
「もしかして頼子ちゃんって…幽霊…なの…?」
その瞬間、頼子ちゃんはうつむいて、少し悲しい顔になった。
青白い顔がさらに青白くなって行くような… そして今度は悲しそうな目でボクを見ながら、だんだんうっすらと消えていった。
ボクは驚き、唖然としながらも、言ってはいけないことを言ってしまったんだと激しく後悔した。

雨が降る中、ボクは自転車を走らせ家路についた。
顔を濡らしているのが雨なのか、涙なのかわからなくなっていた。
それからというもの、もう二度と頼子ちゃんに会うことはなかった。

「ねぇパパ…どうしたの?」
息子の声にハッとして我に返る。昔の思い出に浸ってしまった。
そうだ、今は息子の誕生パーティの最中だった…。
「あぁ、ごめんごめん、そうだ、お誕生日プレゼントがあるぞ~」とプレゼントを取り出そうとした時、 息子がこう言って手のひらを見せてくれた。
「あのね、より子ちゃんって子がプレゼントだって、これくれたよ!」
「えっ…?」
ボクは驚いて息子の手のひらを覗き込んだ。
そこには、あの懐かしい、小さなローズクウォーツが輝いていた。

朗読: ゲーデルの不完全ラジオ


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