ロリータ

はじめに、これはただの前置きなんですが、僕にはなんとなく忘れがたい幼少期の記憶があります。

東北某所の住宅街に住んでいたので、たぶん小学6年生くらいの頃の話です。
そのときは確か平日のまだ明るい時間で、両親も妹も家におらず、僕は漫画を読みながらのんびり留守番をしていました。
すると、ピンポーンとインターホンが鳴ったので、僕は「あーどうしよう」と困ってしまいました。
家族は鍵を使って入ってくるので、インターホンを鳴らすことはありません。
妹は防犯上の理由から「インターホンが鳴っても出なくていい」と言われていましたが、
僕は男だし、なかなか絶妙な年頃だったので、まあ自己判断で臨機応変に、という曖昧なルールだったからです。
その家のインターホンはカメラが付いていなかったので、とりあえずこっそりとドアスコープを覗いてみて、知ってる人だったら開けることにしよう、と決めました。

場合によっては居留守を決めこむことになるので、音を立てないよう慎重に玄関まで向かい、裸足のままそっとドアスコープに目を近づけました。
ドア越しに立っていたのは、スーツ姿の中年男性と小さい女の子でした。
女の子は男性からちょっと離れたところに気をつけの姿勢で立っていて、入学式なんかで着るような、ちょっとよそ行き風のドレスっぽい服を着ていたのを覚えています。
ランドセルは背負ってなかったと思います。
どちらも顔立ちまではよく見えなかったのですが、知らない人であるのは間違いありません。

僕はかなり困惑しました。
というのも、うちはかなり世帯数の多いマンションだったため、セキュリティもそこそこで、本当に知らない人が家を訪れるなんてそうそうあることじゃありません。
スコープを覗くまで、同じマンションのおばさんが野菜でも持ってきたのかも、とたかを括っていたくらいです。
立ち位置的に、男性の方がベルを鳴らしたんだと思います。
僕は一旦落ち着くことにして、もう一度息を殺して二人をよく見てみました。
女の子の方は「もしかして妹の友達かな」と思ったんですが、妹と同じくらいの年齢の子には見えません。
僕は一人で応答するのが少し怖くなって、もう一度インターホンが鳴らされるまでは居留守を使うことにしよう、と決めたのですが、
何秒か経ってからまたスコープを覗くと、二人の姿はなくなっていました。

一応、夕方帰宅した母にこの話はしたのですが、母にもそんな来客の心当たりはないと言い、結局あの二人が誰だったのかはわからず仕舞いです。
小心者の僕は「あの女の子が何かの事件に巻き込まれた子だったらどうしよう」という妄想がなかなか頭を離れず、しばらくはずっとソワソワしていたものです。

前置きは以上です。

高校を卒業した後、僕は何度か一人暮らしを経験しました。
数年前に上京し、紆余曲折あって非正規社員となり、今は貧乏学生が借りるようなボロアパートに住んでいます。
築30年は過ぎているので、このアパートのインターホンもやはりカメラが付いていないタイプです。しかも、入居してすぐ壊れました。
保証会社に連絡すれば直してもらえるはずですが、きっと平日昼間に工事の立ち会いなんかをしなければならないだろうし、
そのためにわざわざ有給を取るのも癪なので、もう半年以上そのままにしています。

あるとき、オンラインゲームで夜更かしをしていた流れで、友人とダラダラおしゃべりをしていました。
土曜日だったので、3時過ぎ頃にやっと解散して、もう朝になっちゃうけど少しは寝るか、と布団を敷いてゴロゴロしていたときのことです。
ドンドンドンドン、と小刻みに玄関のドアを叩く音がしました。
僕はびっくりして固まったのですが、すぐに「やばい、壁が薄いから隣の人がうるさいって文句言いに来たんだ」と察し、
消灯しているのをいいことに狸寝入りを決めこむことにしました。

正直、僕にも非があるとは思いますが、冬の4時頃なんて、まだ外は真っ暗なんです。
そんな深夜といえなくもない時間帯にドア叩かれたら、めちゃくちゃ怖いんですよね。
でもやっぱり少し気になるので、僕は息を止めて布団から這い出て、灯りはつけないまま忍び足で玄関に向かいました。
小学生の頃に見たスーツの男性と女の子のことが忘れられないせいなのか、誰が来たのかをいちいち確認せずにはいられない性分なのです。
慎重に、そっとスコープを覗いて見ると、白髪頭の恰幅のいい男性が立っていました。
なんでもかんでも保証会社を通して連絡するシステムで、アパートの大家さんには一度も会ったことがなかったので「あっ、ここの大家さんかな?」と思いました。
住人同士の交流はありませんが、どの部屋にも比較的若い人や学生さんしか住んでいないのは間違いないのです。

でも、ごみ捨て場の管理や共用廊下の掃除をするのにさえ管理会社の人が来るのに、騒音トラブルなんて厄介そうな事案に大家さんがわざわざ出向くものでしょうか。
管理会社の人はジャンパーやつなぎなどわかりやすい格好で来るのですが、この男性はトレーナーにフード付きのジャンパーを羽織った姿で、
小脇にピンクと白色のふさふさしたものを抱えていました。
抱えているものはよくわかりませんが、明らかに私服です。
僕は向こうに気付かれないよう、一旦ドアから離れ、どうしようかと思い悩みました。
大家さんなら多少のお叱りを受けて終わりそうですが、僕はだんだん、彼が大家さんではない気がしてきました。
たった今までうるさく騒いでいたならともかく、僕が友達と通話をしていたのはもう1時間近く前ですし、こんな夜中みたいな時間に尋ねてくるのはどう考えても不自然です。

玄関でどうしたものかと考えあぐねていると、男性が何か言っているのが聞こえてきました。
「おっお叱りか?」と耳を澄ますと、やはり文句を言うような口調でぶつぶつと言っています。

「見てたんだよ」

思わず「ん?」となりました。
予想していたような言葉と違ったので、何だろう、と耳をドアに近づけてみました。

「見てたんだよ。見てたんだよ。見てたんだよ。見てたん、だ、よぉぉ〜」

たったドア1枚隔てた向こうで、延々そう繰り返しているのです。
ぞっとしました。
意味はわからないけど、なんかやばい、絶対出たくない、と身の危険を感じた僕は、細心の注意を払って布団へ潜りました。

「見てた、んだ、よぉ〜」

もともと壁が薄いアパートですから、変な抑揚のついた男性の声が、7畳のワンルーム全体に響いています。
逃げるところもなく、ただただ「早くいなくなれ!」と念じて震えていたのですが、数分そうしているうちに、声が聞こえなくなりました。
「帰ったかな?」とまた忍び足で玄関へ行き、息を潜めてドアスコープを覗いたのですが、
スコープに顔を近づけてじっとこちらを睨みつける男性と目が合ってしまいました。
ギャッと飛び上がりそうになりましたが、あまりにびっくりしすぎて悲鳴が出なかったのは幸いです。
もう怖い、もう嫌だ、と僕は布団をかぶり、明るくなるまで静かに震えていました。

昼の11時頃に目が覚めると、東向きのドアスコープから明るい日差しが差していました。
一応もう一度ドアスコープを覗いてみましたが、共用廊下と隣家の駐車場しか見えません。
結局あれが何だったのかはわからないのですが、とりあえず深夜の通話はやめよう、と決めて、僕はその時のことを忘れることにしました。

それが3ヶ月前のこと。
話は飛んで、先月。

とあるアニメ系のイベントに、僕が昔から好きなゲーム会社が企業ブースを出すとのことで、僕は一人で某イベント会場へ行くことにしました。
目当てのブースの他にもあちこちを見て回り、食べ物の屋台も数箇所並んでのんびりしていたら、
催しの終盤に、僕の好きなゲームを担当しているデザイナーさんがいらっしゃいました。
ここぞとばかりにお話を聞かせていただいて、僕はもうすっかりご機嫌モードです。
そんなことをしていたので、僕が帰る頃には、周囲はすっかり片付けモードになっていました。
テントみたいなものを解体し始めているところもあって、邪魔になるといけないのでぐるっと回って壁伝いに会場を出ることにしました。
お客さんはほとんど出て行った後のようで、イベント終わりにはあるあるのことですが、午前中とはうって変わって寂しい雰囲気です。

撤収されていく美少女やロボのソフビなどを眺めながら歩いていると、会場の隅にロリータ服に身を包んだ女性が立っていました。
こういう場所にロリータがいることは珍しいことではありません。
彼女は会場の隅、というか角の方に向かいうつむき気味に立っていて、顔は見えませんでした。
ピンクのフリフリドレスだからピンクロリータというんでしょうか。
何かを読んでいるとか電話をしているようでもなく、ただ立っているように見えます。
まあトイレに行ってる友達でも待ってるんだろうな、と、僕は特に気にも留めず彼女の後ろを通り過ぎようとしました。

「見てたんだよね。見て、たん、だ、よねぇ〜」

一瞬でゾッとして息が止まりました。
女性にしては妙に低くてしわがれたような、変な声でした。
そのまま歩いて行ってしまえばよかったのに、僕は驚きのあまりガチガチに固まってしまい、よりによって彼女の真後ろで棒立ちになってしまいました。
よせばいいのに目が勝手にロリータの方を見てしまいます。
足が震えて動かなかったので、とにかくロリータに向かって振り向くな、振り向くな、と念じました。
近くでよく見ると、ロリータの髪は地毛ではなく、テカテカした赤っぽい色のウィッグのようでした。
後ろ姿なのでよくわかりませんが、男性なのかもしれません。

「見てたんだよねぇ」

ぼそぼそと囁く声でも、これだけ近くにいれば聞き間違えようがありません。
以前深夜に家を訪ねてきた男性と似た変な抑揚の、機械みたいな声で何度も同じ言葉を繰り返していました。
機械みたいな、というのは、人間が喉から出す声のような感じがしなかったのです。
胃の中にボイスレコーダーが入っていて、その音が響いてるような、何重にもくぐもった感じの声でした。
ロリータは急にピシッと気をつけをすると、早口でボソボソ言いながら両手で髪を整え始めました。

「見てたよ。見てたよ。見てたよ。見て、見て、見て、見てるからねぇ〜」

ロリータはそう言いながら、両手を使って長い髪を左右に分けました。
僕は見たくない、見たくない、と思ってるのに、どうしてもロリータから目が離せません。
カーテンが開くようにスルスルと髪が分かれると、本来は後頭部であるはずのそこは、ハゲてのっぺりとしており、あろうことか人の顔のようなものが見え始めました。
それも、眼球がない目の穴が2つと、点のような鼻の穴が2つ、だらんと開いた歯のない口らしき穴が1つ、というあまりに異様なものでした。
僕は「グゥッアッ」みたいな変な悲鳴を出して、やっとそこから走って逃げることができました。

パニック状態だったにも関わらず、気がついたら僕は新宿へ向かう電車に乗り込んでいました。
あの変なロリータが電車の中まで着いてきているのではないかと、内心ドキドキしていましたが、
幸いその日は何事もなく家路につき、就寝するまで特に不可思議なことはありませんでした。

といっても、白髪男の件もあるので、一日中どこにいても怖いことに変わりないのですが、あれ以来、今のところは白髪男にも変なロリータにも遭遇していません。
しばらくは玄関扉を誰かが叩くのではないかと心穏やかではありませんでしたが、数週間経ってそれもやっと落ち着いてきました。

そして先日、イベントで注文した受注生産の設定画集が届きました。
といっても荷物の不在通知が入っていただけなのですが、僕はこれをものすごく楽しみにしていたのです。
早速、土曜の午前中に再配達の指定をしようと伝票番号を確認しました。
すると、伝票番号の下というか、バーコード部分に被さるようにして、メモが書いてあるのを見つけました。

「ミタ ミタ ミタ」

僕は声にならない悲鳴をあげて不在通知票を取り落としました。
鉛筆のようなもので、確かにそう書いてあるのです。

一体僕にどうしろって言うんでしょうか。
お祓いとか盛り塩とかで解決できるものかわかりませんが、今は手持ちのお守りを全部首から下げて過ごしています。

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