内線

 とあるコールセンターで契約社員として働いていた時の話です。

 もともとアルバイトとして働き始めたコールセンターで契約社員に登用してもらい、張り切っていた頃でした。
 そのセンターでは契約社員や社員が営業終了後夜遅くまで勤務することが多く、私もよく最終退出者として事務所の施錠を行っていました。
 近々システムの改修が入るということで、これまでと操作方法が変更になる点について、アルバイトの方々へ向けて資料を準備していた日でした。

 通常の業務を片づけるのに思ったより時間がかかり、資料の準備が終わる頃には23時近くになっていました。
 センターの営業終了時間は19時なので、かなりの残業です。案の定室内にはもう誰もいなくなっており、施錠担当は自然と私に決まっていました。
 個人情報関連書類の入ったロッカーが施錠されていることと加湿器のスイッチが切れていることを確認して、最後に室内の電気を消します。
 明かりを消すと、電話機が電源に繋がれていることを示す緑色の小さなランプだけが室内にポツポツと光って見えるのですが、100台以上も電話機を並べている広いセンターのため、静かな室内に無数の緑が光っている光景は少し奇妙です。
 忘れ物がないかを頭の中で確認しながら、首から下げたICカードをドア横のカード読み取り機にかざし、退出した後で今度は外側の読み取り機に警備用のカードをかざして施錠。
 するはずだったのですが、ドアが閉まる直前、中から音が聞こえて、私はもう一度室内に戻る羽目になりました。
 何の音かまではわからず、一瞬、加湿器のボタンを押し間違えたのかな?と思ったのですが、入ってすぐに正体がわかりました。
 部屋の真ん中あたりのデスクで、電話機が鳴っているのです。
 こんな時間に?と思いましたが、別のビルで24時間営業しているセンターもある会社なので、そこの人たちと内線でやりとりすることは、珍しいとはいえおかしなことではありませんでした。
 ただ、今鳴っているのは普段オペレーターが座るデスクです。
 他のセンターにいる社員がオペレーターへ内線をかけることはほとんどありません。
 番号の押し間違いでこの電話機に繋がってしまったのかもしれませんが、どちらにせよもう消灯してしまっているということと、センターの営業終了時間から4時間も経っているということから、特段この内線に出なくても非難されることはないはず。
 そう思ったのですが、わざわざ戻ってきてしまった以上無視するのもばつが悪い気がした私は、デスクまで行って受話器をとりました。

「お疲れ様です、○○です」

 受話器の向こうからは、何も聞こえてきません。 
 タイミングが悪く、私が出たのと入れ違えで電話が切れてしまったようでした。
 内線番号の表示を確認するのを忘れていたので折り返しのしようがありません。
 仕方なく受話器を置いた瞬間でした。

──プルルルルルルル。

 フロア内の電話機が、一斉に鳴りはじめました。
 電話機のモニターがバッと明るくなり、内線番号を映し出しています。
 周囲を見回して初めて、事の異常さに気がつきました。どの電話機にも、同じ内線番号が表示されているのです。
 そもそも営業が終了しているセンター内で電話機が一斉に鳴りだすことがおかしいという点に加え、一つの電話機から同時に複数の電話機に内線をかけることは不可能です。
 よくわからないけど、やばい。 私は走って事務所を出ました。ICカードの反応がこんなにも遅いと思ったのは初めてでした。
 着信音を無視して警備用カードをかざし、鞄を置いているロッカールームへと逃げました。
 イヤホンをして音楽を流し、無理にでも曲に意識を集中させてなんとか精神を守りながら、その日は帰宅しました。

 翌日、出勤してすぐに、同僚たちに昨日夜遅くに電話機が一斉に鳴り出したことを話したのですが、「そうそう、ここ幽霊出るからねえ」と世間話でもしているかのようなトーンで返されてしまい、私の話を信じてくれている雰囲気は感じ取れませんでした。
 しかし、一人だけこの話題に興味を示してくれた同僚がいました。私よりも一年早く契約社員として働いていた、Aさんです。
 Aさんは私に 「それで、その電話、出たの?」 と聞いてきました。
 私は同僚たちへの話の中に着信を無視して逃げたことは含めていませんでした。
 Aさんの、興味、というよりは若干の問い詰めるようなオーラに圧倒されたことと、逃げた事をダサいと思われるかもしれないという小さなプライドから、私はその質問の返事にも 「いえ、出てないです」 とだけ返しました。
 Aさんは私の返事に満足したような、安心したような表情で「そうか」と言って口を閉じました。
 それ以上何かを追及されることも話題が盛り上がることもなく話はそこで終了したのですが、私の体験はそれで終わりではありませんでした。

 あの出来事以来、できるだけ最終退出者にはならないように気を付けていたのですが、一緒に残っていた後輩が体調不良を訴えたので、残っていた仕事を私が預かり、後輩には先に帰宅してもらったのです。結果として私は室内に一人になってしまいました。
 あの出来事から、二週間くらいは経っていたと思います。
 それでもすべての仕事を終えて時計を見るとまだ21時半過ぎで、あの日に比べればかなり早い退出です。
 ロッカーの施錠を確認し、今日の当番が切り忘れた加湿器のスイッチを切り、室内の電気を消しました。
 そしてそのまま事務所を出るために、ICカードに手をかけた時でした。

──プルルルルルルル。

 静かな室内に、着信音が鳴り響きました。
 あの時と同じだ。直感的にそう思いました。
 室内を見渡して鳴っている電話機を探すと、それは以前と同じ、真ん中のあたりのデスクでした。
 光るモニターを見つけた瞬間、私はそこに向かって走り出していました。
 今思えば、この時すでに気が動転していたのだと思います。
 なぜか、この電話をとらなければいけない、という考えが頭の中を支配していました。
 あの出来事のことはできるだけ思い出さないようにしていたつもりですが、無意識のうちに考えてしまっていたのかもしれません。
 あの日全部の電話機が鳴り出したのは、一度目に鳴った内線をとり損ねたせいではないか。そう思ったのです。
 受話器に伸ばした手は震えていましたが、部屋の真ん中まできて電話が切れてしまうことを考えると、その後を想像する方が恐ろしいと感じました。

「……お疲れ様です。○○です」

 絞り出した声も震えていました。
 しかし、声を出したことで恐怖も吐き出せたのか、もしかしたら普通の内線かもしれない、と少し冷静さを取り戻すことができました。
 声が震えていたせいで聞こえていなかったのではと思い、もう一度「お疲れ様です」と電話の向こうの相手に声をかけてみますが、返事はありません。
 しかし通話は切れていないようで、モニターには通話中のステータスが表示されています。

「お疲れ様です。どちら様ですか?どなたかに御用ですか?」
「……お前じゃない」

 冷たく低い、男性の声でした。
 気がついた時には通話は切れていましたが、私はしばらく受話器を耳に当てたまま動くことができませんでした。

 そして、この日の出来事はなんとなく同僚たちにも話せませんでした。
 男性の声を聞いた時、なぜかAさんのことが頭に浮かびました。
 Aさんは私がまだアルバイトだった頃、よく遅くまで残業していたと聞いたことがあったのを、この時になって思い出しました。
 あの内線は、誰宛ての内線だったのでしょうか。
 あの後正社員に昇格し、現在別のセンターに勤めている私には、もう関係のない話ですが。

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