山篭り修行

 私が18歳の頃。
 当時重度の精神病を患っており、何度目かの入退院を繰り返した末に何故か山篭りをしようと家を飛び出した事がある。

 少し特殊な家庭環境で、ひとり暮らしをしており合鍵はたまに遊びに来る妹のみ所持していた事から念の為書き置きを1つ残した。
『山篭りをして精神の修行をしてきます』
 今考えるとアホみたいな書き置きだが、その時は真剣で自分はこの経験を得て成長してやると強く思い、バッテリーをマックスまで充電したスマホと1週間分の食料(痛まないようにお菓子ばかり)、水、小型のナイフ、輪ゴム、ガムテープ、ロープ、ランプ型の電灯、寝袋、ターボライターを持って自転車で何時間も漕いだ先の山に向かった。
 当時の私は、山が市や個人の所有物などとはつゆ知らず、謎のテンションで自転車を止めた先2時間ほど登った少し開けた川付近で野宿を始めた。

 早朝5時に出発し山に到着して昼過ぎになった頃、一応持ち込んだお菓子もあったが山に登っている途中に見つけたグミの実や、上流で泳いでいる鮎をガムテープとその辺と大きな木、輪ゴムで簡易的なモリを作って捕獲し食料と共に持ち込んだ塩を揉んで木に刺し焼いたものなど自然の食事を堪能し、日が落ちる少し前に穴を軽く掘って落ち葉を集め敷き詰めた後に寝袋を用意して何時でも寝れる様に設置。
 いないとは思うが野生の動物が来ないよう石で囲った焚き火を傍に20時頃就寝した。
 元々山付近に住んでいた時代もあり、その上趣味でサバイバルの本や動画、映画などを見ていたおかげか思った以上に快適な1日目だとその時は感じていた。

 眠りについて数時間程たった頃。
 ふと何人かが近寄ってくる気配を感じ、意識が覚醒した。
 登ってくる時自転車を止めっぱなしだったからそれを見た地元の人が捜索しに来たのかもしれない。
 このまま見つかって警察のお世話になれば厄介だな。
 普段ならふんぞり返って来た大人に悪態を着くだろう自分ではあったが、その時の目的は修行。
 絶対にバレてはいけないと急いで火を消し、なんの植物かは知らないが腰ほどの高さの雑草の間に荷物を投げ入れ寝袋ごと移動した。
 何分かたった頃か、人の気配がどんどん先程居た場所に近付き、何とも言えないスリルと高揚感で少しだけ草を分け、奥を見る。
 人影らしき物は3つ程あり、少し腰が曲がっていた事からやはりこの辺のご老人達だと確信を得ていた。
 もうこのままこっちで寝てしまおうかと分けていた草から手を離し瞼を閉じた辺りで地味な違和感に気がつく。
 外は相当暗く、月明かりと星以外何も見えない山の中でこの人達は明かりもなしにどう昇ってきたんだろう。
 イノシシを狩る時でも足元を照らさないと相当危ない山だ。
 1度気がついたら気になってしょうがなくてもう一度草を分けて奥を覗いた。

 先程の人影は相変わらずそこでうろうろしていた。
 先程と違うのは人数が増えていた事だろうか。 3人だったはずなのだが今は7、8人は居る。 あ、ヤバい。
 霊感や不思議な体験などした事ない私でもそれが異常な風景と分かるくらい、その人影たちは身体を四方八方へと曲げ、仰け反りながら獣のような、赤ん坊のような耳の奥にへばりついて離れないような声で笑い、私が食べ終わった鮎の頭や皮、食べなかったモツなどを埋めた箇所を掘り返し始めていた。
 獣が寄ってこないようにそこそこ深く掘った上に石を入れて埋めた箇所は掘りにくいのか聞きたくもない爪のバリバリと言った音が重なり合ってこちらまで響いてくる。
 その腕達が肘辺りまで入った辺りでようやく魚のゴミが掘り当てられ、人影は一斉に穴に頭をつっこみ何かを始めた。
 穴の中までは見えないが恐らくゴミを食べているのであろう。
 時々石も混じっているからかゴリッ…ゴリッ…と普段聞かない音も聞こえる。

 そこからどれくらい経っただろうか。
 非日常で異質な光景に目を離せなくなっていた私は 『この映像写真上げたらバズりそう』と余計な欲が出てきていた。
 採ったあゆはそう多くはないものの、もはや土を食い始めたのでは無いかと思うほどに時間をかけて貪っている人影たちは今だ穴に夢中だ。
 当時の今程画質が良いとは言えないスマホを人影に向け、動画撮影を始める。
 ピロン
 独特な機械音が草むらから響く。 やばい。 人影がこちらに気が付いたかは分からない。
 ただ、人影から数十メートル程しか離れていないこの場所でその機械的な音がやけに響いて、全身の血の気が引いた。
 それと共に私は猛ダッシュで半分脱ぎかけだった寝袋を放り投げ荷物も持たずに山を駆け下りた。
 掛け下りる中、猿のようにこちらを追ってくる様な音が少し先で聞こえていたが振り返る余裕など微塵もなく、転がり落ちればそのまま勢いに任せて転がり続け、止まったら走る。
 そして飛び込んで転がりながら下りるを必死に繰り返し、最初昇ってきた道ではなかったが少し広い車道に辿り着いた。
 服も身体も色々な物でボロボロだし、足は無駄に痛い。 けど止まると多分殺される。
 人気が少ない車道であったが予想だが時刻は4時から5時、偶然にも奥からトラックの光が見えた。
 その光に希望を感じた私は大声を出しながらトラックの方向へ全力で走る。
 今思えばトラックの運転手から見れば私の方が化け物や幽霊に見えたかもしれない。
 必死に腕を振りながらボロボロの衣服でゆっくりと止まるトラックの助手席に周りドアを全力でノックする。
 運転していた50代くらいの運転手は中からギョッとした顔で私の姿を見て急いでドアを開け『乗りや!』と叫んで引っ張りこみ、トラックを発進させた。
 発進した先で先程転げ落ちた山道の先を見れば人影は7、8人とは言わない数に増えており、最早1つの闇の様になっていた。
 多分このトラックが通らなければと思うと急に涙が溢れ子どものように泣きじゃくってしまった。

 その後1〜2時間たった頃か街明かりが遠くに見え始めた頃、運転手は私に何があったのかを優しく少し遠回しに聞いてきた。
 運転手はきっとレイプでもされたかされかけていたのではないかと思っていたのか気まずそうに申し訳なさそうに私を心配してくれる。
 きっと先程のことは信じてはくれない。
 言ったところで私がヤバいやつだと思われてここで下ろされるかもしれないとその時の私は『動画に影響されて1人キャンプをしていたらイノシシに遭遇して急いで降りてきた』と嘘をついた。
 運転手は少しほっとした様子で『これに懲りたら山には1人で行かん事やな〜』等と笑ってくれた。
 その後運転手は街方面にわざわざ寄ってコンビニの前で私を下ろし『これでタクシー呼んで帰りや』と1万円札を握らせてくれた。
『おじちゃんは独り身やからお金いっぱい持ってるけ、気にせんでええ』
 あの時のあの優しい運転手の事は一生忘れる事が出来ない。
 その後はコンビニの店員に頼み、タクシーを呼んで貰い自宅へと戻った。

 余ったお釣りは生意気にも全身の怪我への治療費に当てさせて貰った。
  一日で終わった突発的な修行は失敗に終わったがあの時の恐怖のせいか、荒治療にうつ病は姿を潜め、成人した今では普通に働き、家庭を持っている。
 あの山に何がいたかは未だに分からない。
 あの時撮った映像は数日前ソフトを使って明るさ調節をするなど解析してみたが画質の荒れた黒い画面とブレブレの木々、自分の必死な声以外何も写っていなかった為削除した。

朗読: ゲーデルの不完全ラジオ

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