死ぬ役

 今から5年ほど前の話だという。
 職場の高橋さんのおばあさんがいよいよ寝たきりとなり、順番待ちをしていた老人ホームに空きが出たため、お世話になることになったそうだ。

 高橋さんは、実家を離れ、他県で働いていたので、夏期休暇を取り、おばあさんに会いに行った。
 実家のある町から県道沿いに山に入って、結構進み、民家も無くなったころ、ようやく四階建ての白い建物が見えてきたという。
 緑に囲まれたとても静かなところだったそうだ。
 おばあさんの部屋は、ニ階の一番奥で、南側に大きな窓があり、そこからも山の木々の緑がとても綺麗に見えたという。
 おばあさんは、一人で起き上がる事が出来ず、歩く事も難しい状態だったそうだ。
 しかし、認知症などの症状は無く、頭ははっきりしていたので、高橋さんの事もきちんと認識していた。 それで、久しぶりの再会をとても喜んでくれたそうだ。
 ところが、 「あのね、内緒なんだけど、おばあちゃんさ、今度、ドラマに出ることになったから。詳しく決まったら、また教えるからさ。楽しみにしてて」 と言ったという。
 高橋さんは、(いよいよ本格的なボケが始まったのか?)と思って、適当に話を合わせることにしたそうだ。
「えっ、おばあちゃん、ドラマって、何?」 と興味津々という感じで聞き返すと、
「夜遅くにさ、監督さんが来て、私にドラマの説明をしてさ、あなたは殺人の目撃者で『犯人に追われる役』ですって言うのさ」 と、おばあさんは、とても嬉しそうに話したという。
 高橋さんが、 「おばあちゃん、演技なんて出来るの?難しい役じゃない」 と言うと、おばあさんは、 「おばあちゃんさ、ドラマに出るのが、夢だったの。夢が叶うんだから、頑張るからさ」 と言ったという。

 その帰り際、ホームの介護士さんに挨拶しながら、 「おばあちゃん、ドラマの話とかしてるんですけど、大丈夫ですかね?」 と聞いてみたそうだ。
 すると、 「私も聞きました。監督さんが来て、ドラマに出る話ですよね。多分、夢でも見たんじゃないですかね」 とのことだった。
 高橋さんは、夏期休暇の最終日に、もう一度、おばあさんに会いに行った。すると、 「夕べさ、急に監督さんが来てさ、びっくりしてたら、もうすぐ出番だからって」
 高橋さんが、 「それ、ドラマの話だよね?監督さんってどんな人なの?」 と聞くと、 「暗くてよく分かんない。でも優しい声だよ。きちんと説明してくれてさ。女の人がナイフで刺されて、倒れるとこを見て、逃げんの」 と、おばあさんが鬼気迫る形相。
「随分、具体的だね。それでどうなるの?」 と聞くと、 「犯人が追ってくるからさ、あとは必死になって逃げんのさ。そして…」
「そして…?」
「死ぬ役なの」 と、おばあさんは少し寂しそうに話したという。

 高橋さんの夏期休暇が終わって、数日後の昼間、おばあさんの訃報が届き、高橋さんは急いで実家に戻ったそうだ。
 おばあさんは、寝たきりで動けなかったはずなのに、何故か部屋を抜け出し、建物の外の森の中の池で亡くなられていたとのこと。
 警察の介入もあったが、家族からの要請もあり、最終的に誰も責任を問われる事は無かったそうだ。
 ただ、高橋さんは、おばあさんのドラマの話が忘れらず、時々思い出しながら考えていたそうだ。
「夜に来た監督って、誰だと思う?」 と、私に問いかけた。
「おばあさんにだけ見えていたとしたら、やっぱり夢だったのかもよ。連続して同じ夢を見ることもあるらしいから」 と、答えた。
 しかし、高橋さんは、 「おばあちゃんの最後がさ、本当に追われてたみたいに、足とか腕とか傷だらけでさ。俺さ、おばあちゃん、『死ぬ役』を演じ切ったんじゃないかと思うんだ。そんな事、警察の人には言えなかったけどね」 とのこと。
 そして続けて、 「あのさ、葬式の時、ホームの介護士さんに会ったんだけど、俺にこっそり紙切れをよこしてさ、それに何て書いてあったと思う?」 と聞くので、私も、 「何て書いてあったの?」 と聞くと、 「おばあちゃんの震えた文字で(犯人は夫です)って書いてあったの。枕の下に隠してあったんだって。凄いでしょ」 と、高橋さんは少し得意げに話してくれた。

 そんな話を聞いた数日後の深夜、風呂上がりに、うちのおばあさんの部屋の前を通ると、部屋の中から何やら話し声が聞こえてきた。
 私は咄嗟に、高橋さんから聞いた話を思い出して、慌てておばあさんの部屋の扉を開けた。 おばあさんは、布団の上で身体を起こし、両手を合わせお経を唱えていた。
 私が、 「おばあちゃん!」 と声を掛けると、おばあさんは私を見て、お経を唱えるのをやめた。
 話を聞くと、不意に目が覚めて、見ると人影があり、おばあさんの名前を呼ぶのだという。
 薄明かりの中、目を凝らして見ると、それは、近所の仲良しさんで、 「早く、松島に行きましょう。あなたも楽しみにしてたでしょう」 と言ってきたそうだ。
 しかし、 「コロナだから、無理なのよ」 とおばあさんが答えると、仲良しさんは、スッと居なくなってしまったという。
 何となく胸騒ぎがして、おばあさんはお経を唱えていたとのこと。

 翌日、連絡が入り分かったことだが、ご近所のおばあさんの仲良しさんは、夜中に亡くなられていたそうだ。
 お別れを言いに来たのか、それとも、一緒に連れて行こうとしたのかは、分からない。
 出勤すると、高橋さんが来ていたので、 「高橋さん、この前の亡くなられたおばあさんの話ですけど、お知り合いとか親しい人の中にテレビ関係の人とか、映画関係の人とかはいなかったんですか?」 と聞くと、高橋さんが、少し考えてから、 「そういう関係の人はいないと思うよ。でもね、二十年位前に亡くなったおじいちゃんは、映画が大好きだったよ」
 暫く沈黙したあと、高橋さんが、 「もしかして、監督ってさ、おじいちゃんだったりして。迎えに来たのかもね。ほら、おばあちゃん、寝たきりになっちゃったからさ。それにしても、もの凄い演出だったけどね」 と、呟くように話していた。

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