この前、ご近所さんに柿を沢山いただきました。
 そのときに、ふと思い出したちょっとだけ不思議な話です。

 ご近所さんの家の庭には、立派な柿の木があり、秋になると毎年柿をお裾分けして下さいます。
 私の母が子どもだった頃からずっとのことで、私も小学生の頃は、いただいた柿を干し柿にする為、祖母を手伝っていた記憶があります。
 ご近所さんは、ご高齢の仲良し夫婦で、特に旦那さんは柿の木をそれは大切にしていたそうです。
 いつから生えているのか、私の祖母が子どもの頃から既に巨木だったとの事なので、ご近所さんご夫婦が生まれる前からずっとそこにあり、代々大切にしてきたのだと思います。

 しかし、私が高校生の秋のころ、ご近所さんご夫婦の旦那さんのほうが倒れられました。
 そして旦那さんは、あの柿の木をどうか大事にしてくれと奥さんに言い残し、その年の柿を食べぬままに亡くなってしまったそうです。
 旦那さんが亡くなって暫く、まだ青かった柿の実は大きく赤く熟れ、枝が重そうに垂れ下がり、無事収穫の時期になりました。
 奥さんは今年1番に取った柿を仏壇にお供えし、またいつものように、余った柿を近所へお裾分けして周ったのでした。

 その数日後私は、ご近所さんに今年も柿をいただいたとは知らぬまま、冷蔵庫で柿を見つけました。
 お腹が空いていたので、ご近所さん家の柿とは知らず、普通に柿を剥いていると、そこに母がやって来て私に言います。
「それご近所さん家の渋柿やに? そのまま食べる気?」
私「えーー、そうなん!?もう切っちゃったやんーー!」
 そう、ご近所さん家の柿は、干し柿にしなければ食べられない、渋々の渋柿だったのです。
母「仕方ない。責任取ってあんたが食べな。(笑)」
私「…くっ」
 まぁ仕方ありません。私はしぶしぶ、柿をそのまま食べたのでした。
 しかし、想像していたエグ味は全く無く、口いっぱいに甘くて濃厚な柿の味が広がったのです。意味が分かりませんでした。
私「あれ? お母さん、これ甘柿やよ? 渋くないわ、食べてみ?」
母「は? 私をハメる気か?」
私「いやいや本当本当」
 疑う母にも食べてもらった所、やっぱり美味しかったようで、切った柿は半分以上母のお腹に収まりました。
私「これ普通にお母さんが買って来た柿なんちゃうん?」
母「いやいや、今年はまだ柿買っとらんよ」
 おかしいね、と言いながら、その場はもう一つ柿を食べてお開きに。

 その後気になった母が、祖母と一緒にご近所さん家の奥さんを訪ねました。
 母が柿のお礼を渡しながら、奥さんに柿のことを話すと、奥さんもびっくりしたようで「ちょっと待ってね、家にあるの切ってみるわ」と小走りで台所へ下がっていったそうです。
 数分で、奥さんが切った柿を持って戻り「本当に甘くなっとる。良かったらどうぞ」と、母と祖母へ柿を差し出しました。
 母も祖母も喜んで柿を食べ、やっぱり甘くなっとるねと、皆で不思議に話したのでした。
奥さん「旦那が甘柿にしてくれたんかね」
祖母「きっとそうやに。去年までは確かに渋柿やったもん」
母「こんな事あるんですね〜」

 そんなこんなで、私は今もう社会人数年目。渋柿が甘柿に変わって10年以上経っていますが、柿は甘柿のままです。
 植物のことはよく知りませんが、渋柿が甘柿に変わることってあるのでしょうか。
 あったとしても、大切にしていた旦那さんが亡くなった年に偶然というのは、やっぱり不思議に思います。
 旦那さんは、大事な柿の木が渋柿だと、切り倒されるとでも思ったのかもしれません。
 それとも、大好きな柿を、皆にもっと美味しく食べてもらいたかったのかも…。来年の柿も楽しみです。

朗読: ゲーデルの不完全ラジオ

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