ゴミ屋敷

 高校を卒業してしばらくした頃、とあるバイトをすることになった。
 あまり大っぴらに言うと身バレしそうで怖いので、職種は言えない。
 こういうと怪しさ満点ではあるが、決して法に触れるような仕事ではなかった……ということだけは、先に述べておく。

 私はまだ未成年だったので実家から通っていたが、社員の人たちは大体社員寮を利用していた。
 住所不定無職というような人も雇い入れる、そういう職種・会社だったので、中には経歴が一切不明の流れ者のような人までいた。
 私はそういう人たちとは関わらないように日々仕事だけをこなして帰るだけの生活を送っていたが、ある日、業務外で召集がかかった。
 嫌だなぁと思いつつも、特別ボーナスも出るということだったので、遊ぶ金欲しさに参加することにした。
 社用車に数人で乗せられ、着いた場所は一般的なアパートだった。
 その一室の前に、上司がゴミ袋やら掃除用具やらを持参して待っていた。
 皆一様にほとんど説明がないまま連れてこられたので、何が何だかわからないという顔をしている。
 そんな空気感を上司が察して、説明が入った。
「ここなぁ、社員寮として借りてた部屋なんだけど、この間ここに住まわせていたAが飛んでな。しかも部屋がゴミ屋敷になっちまってるから、こっちで掃除することになったんだよ」
 この職場はとにかく社員がバックれる。
 バイトの方が長く続くのではないか? というくらい、社員の定着率が低い。
 入ってきてすぐの人もいれば、数年働いていて急にいなくなる人もいて、多い時ではひと月に数人いなくなる。 しかも夜逃げ同然で、貴重品だけ持って姿を消すのだ。
 数ヶ月前からAさんが来なくなっていたことには気がついていたが、またいつものバックれだろうな……と大して気にも留めていなかった。
 バックれるからには色々事情がありそうなものだが、それはバイトである私が知る由もないし、知ってしまうことによって嫌なことが起こるのも怖いので、知ろうという気すら起きなかった。
 私は内心、ゴミ屋敷の掃除かよ……! と非常に嫌な気分になったが、特別ボーナスの為に黙っていることにした。
 ワンルームの掃除にしては、私含めバイトが数名、社員が2人で、結構な人数であることが異様で、なんとなく嫌な予感がしたが、考える暇など与えてはくれない。

「じゃあ、始めますかね」 と、集まった人間にマスクを配り、既に不快臭がする扉を上司が開ける。
「うわ……」
 誰からともなくそんな声を上げた。
 中はゴミで満たされており、変な虫がブンブンと羽音をさせて飛び交っている。 それから、このなんとも言えない臭い……。
 オエッと、次々にえづくバイトたち。 それを横目に、上司は慣れた様子でガサガサと侵入していく。 足元を見ると、長靴だった。 何故かその装備に関心して、また、先にそれを言っておいて欲しかった……と憎々しく思ったりもした。
 まあ、ゴミ屋敷の掃除ですって先に言われていたら、ボーナスが出たとしても断っていただろうから、上司たちは賢明だったのかも知れない。
 意を決して、用意されたトングでゴミを45ℓのゴミ袋に次々とぶち込んでいく。
 最初こそ、みんな口々に文句を垂れていたり、気持ちわりーだの、どんな生活してたらこんな風になるんだだの、そういえばあの社員いつも臭かったよな……だの、それなりに戯れながらやっていたが、時間の経過と共に無駄口は減っていった。
 終わらない……。いつまで経っても床が見えない……洒落にならん……。
 おそらく、皆同じ気持ちだったことに違いない。

 1時間以上経過してからだろうか。 ゴミが片付けられていくにつれ、悪臭が強くなっていくことに気がついた。
 甘いような、酸っぱいような、何かが腐ったような、鼻をつく刺激臭。
 この変な臭いはなんなんだろうと考えていると、 「床だ!」
 部屋の奥で、バイトの男の子が声を上げた。
 ようやく床が見え、なぜか拍手が湧き上がった。 終わりが見え始めたことで皆にエンジンがかかり、ピッチが上がる。
 無駄口が増えてワイワイし始めている中、私の横で作業をしていた女の子が突然動きを止めたかと思うと、口元を押さえてダッシュで外へと飛び出して行ってしまった。
 なんだなんだと、上司が心配して様子を見に行くが、どうやら玄関先で嘔吐してしまっていたようだ。
 私は彼女の作業していた辺りで大量の蛆がうぞうぞと蠢いているのを見て「ああ……これでか……」と思った。
 蛆くらいであれば、動きがキモいくらいで怖いということはさほどなかったので、その場を覗き込んでやろうと体を乗り出して、見てしまった。
 一瞬、それがなんだかわからなかった。
 布団らしき物を、黒い形のシミが広範囲に渡って侵食している。
 長く伸びたシミの先に、5本枝分かれした部分があり、そこに何かパリパリに乾いたものが引っ付いているようだった。
 脳みそがバグる、とはこういう感覚なのだろう。
 恐らく、最悪の答えを導き出さないように、無意識のうちに思考に蓋をしてしまうのかも知れない。
 しばらくの間、時が止まったように感じ、今見ているものが人の形を模っていると理解した時、自分の浅はかな行動を悔いた。
 気付かぬうちに私の周りには数人集まってきていたようで、誰かの「なんだこれ……」という震えた声の呟きで、私は我に帰った。
 すると、外にいた上司から「一旦外出てきて〜。休憩にしよう」と声がかかり、私たちは皆その場から逃げるように離れた。
 嘔吐してしまった子は、うずくまって泣いているようだった。
 上司が彼女の背中をさすりながら、「女の子にはキツかったかなぁ〜……」と言い、少し考えた後、私を指し、「キミと泣いてる子は今日はこれで帰ろうか」と、もう1人の社員に車を回すように指示した。
 私は上司と背中をさする役目を交代して、車が来るのを待つことになった。 その間、バイトの男の子が果敢にも上司に「あのシミってなんなんですか……?」と聞いたが、上司からは「察してくれ」という返答と苦笑いだけが返ってきていた。

 間もなく車がやってきて、私と泣いていた子は車に乗り込み、無事家まで送ってもらったが、それ以降その子は仕事に来なくなった。
 どうやら少しだけ会社と親御さんが揉めたという噂もあったが、当然といえば当然である。
 翌出勤日、アパートに残って作業していた男の子にあの後どうなったのか聞いみた。
 かなりショックを受けているかと思いきや、意外にもあっけらかんと話してくれた。
 想像通り、やはりあのアパートでAさんは亡くなっていた。
 清掃とリフォームの代金は会社が持つという話になったが、少しでも安く抑えたかった会社は、特殊清掃まがいのことをバイトにやらせようということになったらしい。
 上司いわく、遺体は警察が引き上げたが、まさか現場が「そうだとわかるような状態」になっているとは思っておらず、本来ならばバイトには最後まで黙っているつもりだったらしい。
 私はまたあの時の光景を思い出して、胃から込み上げそうになった物をぐっと飲み込んだ。
 最後にバイト仲間はこう付け加えた。
「あの後、ちょっと犯罪臭のする物とか出てきちゃってさぁ……。上司たちはその対応に結構追われてたっぽいよ。ザマァみろって感じだよな」と。
 先に述べたように、身元がバレるのが怖いのでこれ以上は言えない。
「犯罪臭のする物」に関しては、皆さんのご想像にお任せすることにする。

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