むっしょい ~後日談~

※この話は、以前投稿しました『むっしょい』の後日談ですので、そちらを読んでいただいてから、こちらを読まれることを推奨いたします。

 おじいさんに『むっしょい』の話を聞いた後、集会所から家に戻ると、まだ午後二時半だった。
「ずいぶん早く帰ってきて、さぞかし勉強がはかどったんでしょうね」
 などと皮肉を言いながら母が切ってくれた西瓜にかぶりつき、三時からのワイドショーの心霊写真特集を視ながら寝落ち、夕方に目が覚めた時にはお腹にタオルケットが掛けられ、セミの鳴き声がアブラゼミからヒグラシにバトンタッチしていた。
 晩御飯には、熱が下がった弟も起きて来て、家族皆でお笑い番組などを視ながら素麺などを食べた。
 就寝の時間。 二段ベットの下段で一足先に床に着いていた弟の寝息は、すっかり健やかさを取り戻していた。
 その寝息を聞きながら天井を見つめて眠りが来るのを待つが、一向に眠くならない。
 昼寝のせいもあるのだろうが、一番の原因は昼間のおじいさんの話が頭を駆け巡っていたからだ。
 むっちゃんの背中のこぶを想像しているうちに、何だか自分の背中が痒くなってきた。
 痒い所に指先を伸ばすとポツンとした突起に触れた。
 心臓がドキンと強く打ち、血の気が引いて行く、飛び起きて洗面所に向かい寝間着を脱いで背中を鏡に映す。
 背中の上部中央に小さな赤い発疹が一つ。 多分、ニキビか汗疹だろう、明日になったら治ってるはずと、ベッドに戻り、ぎゅっと目を瞑る。
 そもそも、おじいさんの村の、生まれたばかりの男児の背中に起こることが、話を聞いただけでなることなんてない! なるわけない! そうですよね神様! と、八百万の神様やら、お釈迦様やら、いろんな神様にお願いしているうちに、いつの間にか眠りに就いていた。

 翌朝、起きて真っ先にやったことは、洗面所での発疹チェック。
 残念ながら、それは少し大きくなっていた。 赤みが広がり、少し熱を持ち、ズキズキ疼く。
 不安に押し潰されそうになっていると
「なにしてるの?」
 鏡に映っている怪訝な顔の母と目が合う。
「背中におできが……」
 半ベソ顔になって母に打ち明けた。
「あ~ちょっと膿んでるわ。汚い手で触ったりするからでしょ!」
 小言を言いながら瓶入りの軟膏を持ってきて背中に塗り付ける。
「そのうち治る治る!」
 その母の言葉にすがりつつ、勉強をするので許して下さいと、イエス様やら、ゼウス様にお願いし、生ぬるい扇風機の風を浴びながら、居間で算数ドリルを黙々とやる。
「これまた珍しいことがあったもんで」 と、洗濯物を抱えた母が横目で見やる。
「どうせ、なんかしょうもないことやらかして神様に許しでも乞うてんでしょうよ」
 ずばり核心を突かれ、ドギマギしながら乱暴に消しゴムをかけてドリルを派手に破いてしまった。
 背後で弟が視ていた夏休みアニメがCMに入り、コマーシャルソングが流れてくる。
 小児用の和漢薬のCMで、曲に合わせて効能がある症状を並べている。
『夜泣き』『かんむし』『乳吐き』
 ……気になる言葉が聞こえた。
『かんむし』
 頭の中に文字が浮かぶ。
 以前から流れていたCMであり、口ずさむこともあったが、『かんむし』という言葉について、今、初めて意識し、興味を持った。
「お母さん! かんむしってなに!?」
 大きな声で、網戸の向こうで洗濯物を干す母に聞いた。
「かんむし? ああ、かんのむしのことやねえ~」
 かんのむし! そのものずばりである。
 かんのむしに効く薬!? そして、その薬を家の薬箱で見かけた気がする。
 鉛筆を放り投げ、畳の上で足を2、3度空回りさせてから薬箱に向かう。
 風邪薬や頭痛薬を押しのけて薬箱の底の方を漁ると、見つけた。 小さな容器に入った細かい銀色の粒。
 その時、用法、用量、有効期限などを調べたか憶えていないが、十粒ぐらいを掌に出し、躊躇もなく口に放り込み、台所の蛇口から水を掬って飲み下した。
 即効性があるのか、6年生に効くのか、おできに効くのか、『かんのむし』とはそんなに有名なものなのか、薬があるなら、むっちゃんも飲めば良かったのではないか、などと色々疑問が浮かんだが、不安を取り除きたい一心で、その薬に願いを込め、望みをかけた。
 八月も末となり、たんまり残った宿題の処理に追われている頃には、背中のおできも不安も忘れ去り、『むっしょい』の話も記憶の底に沈んでいった――。

~余談~

ご存じの方もおられるでしょうが、『かんのむし(疳の虫)』とは乳幼児がストレスなどを感じて起こす夜泣きや癇癪等の異常行動を指すもので、飲んだ薬にはそういうものを鎮める生薬が処方されています。
 効能的にみて、おできには効き目がなかったと思いますが、不安に苛まれている精神状態を癒すには多少効き目があったかもしれません。
 むっしょいの『神の虫』と音が一緒な事による勘違いだったのですが、救われた事には違いないので、只々感謝です。

~閑話休題~

――それから時が流れ、2021年、春。
 怪談のコンクールがあるという事で、エントリーすべく、その為のネタを記憶から掘り起こす中、不意に『むっしょい』の話を思い出した。
 思い出したのは今回で二度目。
 一度目は長男が生まれた時に唐突に思い出し、そしてしばらくの間、不安に付きまとわれた。
 うちの子には関係ないと思いつつも、暫くは頻繁に息子の背中をチェックせずにはいられなかった。
 結局、特に何事も無いまま、育児と仕事に忙殺される日々の中に不安は霧散していったが、『むっしょい』の話が自分の中にずっと居座り続けていた事を確認した出来事だった。

 そして、再び思い出した今回、この話を公に語る事で少しでも気持ちが軽くなればという期待も込めて、いざ、PCを立ち上げた。
 書き始めるにあたり、まず最初にしたことは『むっしょい』という言葉を検索することだった。
 もう既に他の誰かがこの話を世に放っているかもしれない。だとしたら書いても意味がない。
 適当な言葉を検索しても何某か引っかかるほど、ネットの空間には膨大な言葉が浮遊しているが、『むっしょい』に似た言葉が引っかかりはすれど、そのものずばりな検索結果は無かった。
 それを確認し、本格的に書き始めてから数週間掛かって完成し投稿。
 ありがたいことに賞をいただけるという結果となった。
 そして今、こうして後日談を書いているのだが、実は、本編には書かなかった事がある。

 おじいさんの話には、もっと具体的な情報が散りばめられていたのだ。
 村の在った都道府県、地理的位置など、この出来事がどこであったのかを特定することが可能な情報が語られていたのだ。
 当初は、ぼかしながらも、なんとなく推察できるレベルで書いていた。
 きっとその方がリアリティが増し、読み手の関心もより強くなるだろうという魂胆だったのだが、おじいさんの話のパート序盤を書いていた頃、夢を見た。

 鬱蒼とした森の中。
 覆い被さる木々の隙間に見える赤い空を見上げていると声が聞こえた。 透き通るような滑らかな声が、悪戯をした子供を諭す様な口調で、意味の分からない短い言葉を発した。
 ハッと目が覚めるとまだ夜明け前だったが、忘れないうちにと布団を出て、その言葉を検索した。 その言葉は『だめだよ』という意味の方言だった。
 そしてその方言を使う地方は、まさしくおじいさんの村のあった場所だった。 背筋がゾクリとした。
 偶然か? 警告か? この話を書いてはいけないという事なのか?
 結構書き進めていたのだが、恐怖に駆られ咄嗟にバックスペースキーを押す。
 タタタタと一文字ずつ書いた文章が消えて行くのを見ながら、やっぱりせっかくここまで書いたのにと惜しい気持ちが湧きあがり、キーから指を上げた。
 おじいさんの話パートが殆ど消えた状態になった文章を見て、書く意欲が消沈してしまい、その日はPCを閉じた。

 その晩、また夢をみた。 同じ夢。 そして同じ声が聞こえる。
 が、前回とは違う言葉だった。
 検索した結果、同じ地方の方言で意味は『大丈夫』だった。
 今度はどういう事だろう? 何が大丈夫なのだろう? おじいさんの話のパートを消したことと関係があるのか。
  おじいさんの話を書かなければ大丈夫だということなのか? しかし、それではこの話は成り立たない。
 信じ難いような奇妙な出来事に慄きつつも、ふと一つの仮説が浮かび、それに沿った形式でおじいさんの話パートを書き直してみることにした。
 果たしてその夜、『だめだよ』の夢を見ることはなかった。

 自分が立てた仮説。
『場所が特定できる様な情報を書かない』ということ。
 だめだと言われた時の文章内に書き込んでいた『場所が推察できるワード』を排除し、さらに『検索を重ねていくと場所の情報に辿り着くようなワード』もあったので、それらも入れない様、注意を払いながら書いたのだ。
 試しに意図的に特定できるワードを書き足してみたら、しっかりその夜に『だめだよ』が返って来た。それも、前回より怒気を含んだ声で。
 更に、右耳に痛痒さを感じ、なんだか聴こえ難いので耳掃除をすると、ガリッという音と共にパチンコ玉サイズの血の塊が出て来てゾッとし、これはきっと、試す様な真似をしてはいけないという戒めと解釈して、夢の風景を思い浮かべ、手を合わせて謝罪した。

 それからは、危なそうなワードを検索にかけては確認という作業を繰り返しながら書き進め、すべてを書き終えた夜には『伝えなさい』という方言が聞こえた。
 ちなみに『むっしょい』というワードは、前述したように検索しても何も情報が無いワードだったが、その他にも特定に結び付きそうなワード、例えば『かんなびの山』や『孫太郎』などは、検索に掛けてみると、それなりに結果が引っかかり、その内容はどこか関連がありそうな結果を提示したりするのだが、場所の情報に行き着くことは無く、夢の声からの警告も特に無かったので、そのまま書き込んだ次第である。

 もし、『だめだよ』を無視していたらどうなったのか?
 私には、それを試す勇気も根性も無いので確認のしようもないのだが、世の中には怖いもの知らず、物好きな人もいるだろうから、『だめだよ』の先を確かめようとする人がいるかもしれない。
 でも、それは叶わない。
 それをするには私が隠している情報を知らなければならないからだ。
 しかし世の中に、この話を知っている人がいて、その人が場所を特定できる追加情報を発信した時、どうなるのだろう。
 私にも何か影響があるのだろうか。 そんなことを考えて心配していたりする。

 そしてもう一つ心配なことがある。
 私にこの話を伝えたおじいさんは大丈夫だったのだろうか?
 帰り際、姿を見つける事が出来なかった、あのおじいさんは。
 あることを思い出した。
 走って自宅に戻る途中、サイレンを鳴らした救急車とすれ違ったこと。
 集会所方向に走り去るその先で助けを求めたのは誰だったのか? まさか、あのおじいさんではあるまいか……。
 遠い記憶の中でサイレンが鳴り続けている。
 息子や娘の帰りが遅いときに聞くサイレンのように、えも言われぬ不安を煽りながら。

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