幽霊哀歌~戦争篇~

 これは、私の祖父の兄弟の話になります。

 祖父の弟(私たちは「おじさま」と呼んでいましたので、以下そう書かさせていただきます)は、左腕が肩の根元からありませんでした。
 小さい頃は、それがなぜかと聞くと「悪い事をして、鬼に引っこ抜かれたんだ。だからお前は悪いことするなよ?」とよく、脅されました。
 しかし、私が中学生にもなると、「いやな。戦争で、なぁ……。俺は運よく助かったが、同じように傷を負って、死んでいった仲間は沢山いた。あれは、もう起こしちゃいけないものだ」としみじみと悲しそうに、そして、恐ろしそうな顔をして語っていました。
 このおじさまは、近くですが別の所に住んでいたので、普段はヘルパーさんにまかせっきりでした。
 ですが、奥さんに先立たれ、そして子供がいないために、私達の家族が時折、様子を見に行っていたんです。当然、御祝い事も私達と共に過ごしていました。
 私も、私の兄妹も一緒に行っていたので、その日はとても賑やかになります。
 当然、お酒も飲みますので、おじさまも上機嫌でした。
 私がお酒を飲めるようになった時、初めて一緒におじさまと飲んだんですが……。
 そんな時に、「昔、俺の左腕が無くなったのを、『鬼が引っこ抜いた』って行った事があったよな。あれなぁ、本当の事なんだ」と、言い始めました。
 流石に、私も20歳を超えていたので、「おじさま、流石にそれを本当って信じるほど、もう子供じゃありませんよ」と笑って返しましたが、おじさまの顔は、とても真剣なものになっていました。
「いや、あれは鬼、としか表現できんかった」と、日本酒をぐびりと飲み、酒の入ったコップに目を落としつつ呟きました。
 以下は、叔父さまが語った話です。

 終戦間際、戦地がかなり劣勢な時期に徴兵され、多少の訓練を受け、わけも解らぬまま、戦地に送り込まれたそうです。
 おじさま曰く、「俺はまだ、多少訓練させてもらえてたし、最前線でも、飯炊き用の兵として送り込まれたからな。敵兵と撃ち合う事は、あまりなかったが、あの当時は訓練すら無く、いきなり最前線に連れてこられた奴らもいたからな。まともに戦えるわけがない」とのことです。
 泣き出す奴、現実を受け入れられずおどおどする奴、敵の銃撃に恐れをなし逃げ出す奴、わけも解らず引き金を引き続ける奴、もう弾がないのにも関わらず体を出しつつけ、敵兵を撃とうとする奴と、まさに混乱を極めていたそうです。
 ですが、そんな中でも生き残る奴がいて、次第に敵兵を撃ち殺し、戦闘をこなせる奴らも出て来たそうです。
「そういう奴はよ、段々と、目つきが変わってくるんだよ。まるで、人間じゃなく、こう、鬼の目とでもいうんだろうな。敵を見る目が、こう、恐ろしく怖い目になってくるんだ。もしかしたら、俺も、そんな目をしてたのかもしれない」と、あの場所で、殺し合うのが日常で、物資もない、食料もない、武器も満足にない。
 敵兵が置いていった武器を使ったり、死んだ仲間から奪った物で、飢えをしのいだりもしたそうです。
「あそここそが地獄で、俺達はそこの鬼、になってたんだろうな」と、酒をあおりました。
 コップが空になったので、私が酒を注ぐと「今思い出しても、震えがくる。俺が左腕を無くした日だ。あの日は……特に敵の攻撃がしつこかった。俺まで最前線に駆り出されて、まさに、総力戦って感じだったよ」と注がれた酒をまた、飲みつつ、少し、酔いが回ったのか、ろれつが回らなくなっていました。
「俺も……なんていえばいいのか、今でも、よく解らないんだが。あれはまさに、霧としか言えなかった。俺達の、もしかしたら、あの場所全体に広がっていたのかもしれないが、霧のようなものが足元に流れているんだ。それも、徐々に濃く、そして、段々と上に上がってきてるんだ。みんな、気がついてない。そりゃそうだ、敵が弾をバンバン撃ってくるし、爆弾は投げてくるしで、そんなの気にしてる暇なんかないわな。でもな、それがどんどん、濃く、上に、なんていうかな。絡みつくってのが一番しっくりくる言葉だな」と、酒の入ったコップを机に置き、残った右腕で、自分の足元から、膝、腰にかけて登ってくるのを説明してくれました。
「それがいけなかったのか、よかったのかは、今でも解らない。もしかしたら、あれが無かったら、俺はあの場で死んでいたのかもしれないし、もしかしたら、五体満足で帰ってこれたのかもしれない」と、ため息をついて、言葉を選ぶかのように、そして、語り始めました。
「その霧がな? 敵兵に見えたんだ。あれは、多分、俺が、撃った弾で死んだ兵、なんだろうな。それだけじゃない。その霧が形を変えて、敵味方関係なく、死んだ奴らの苦悶の表情で腰に縋りついてきてたんだ。振り払おうとしても、無駄だった。恐れおののいて、何かを叫んだ気がした。その時、強い衝撃が襲ったなって思った、次の瞬間、気がついた時には、高床の上だったよ」と、座り直し、つまみにとっておいたであろうご飯の残りに箸を伸ばしました。
「状況を聞くとな、俺は爆弾で吹き飛ばされたそうだ。左腕だけで済んだのは、むしろ、幸運だったようだよ。でもな、最後に俺の左腕にしがみついていた敵兵の顔を思い浮かべると……。あそこが地獄で、俺達が鬼で、あそこで漂っていた霧が、これから地獄に行く亡者だったのかもしれんなぁ」といっていました。
「じゃぁ、おじさまの左腕は、鬼じゃなく、その幽霊に持っていかれたんですかね?」と、ここまで静かに聞いていた、私は思わず、聞いてしまいました。すると、「どうかな? 俺は、あの時、亡者の顔も、鬼に見えた。もしかしたら、ああやって、殺し合って死んだ奴らは、全員、地獄の鬼になるのかもしれないぞ。……俺も、死んだら、あいつらと同じ、地獄の鬼になるのかもしれないなぁ」
 そして、「結局はよ、戦争した奴、させた奴、いった奴に死んだ奴、どいつもこいつも地獄の閻魔様に、死ぬまで、いや、死んでも許されないような事をやったって事だな。だから、戦争はもう、やっちゃいけないんだよ、絶対になぁ」と、呟きながら語り、コップに残っていた酒を一気に煽り、そして床にゴロリと寝転がり、いびきをかいて、寝始めてしまいました。

 そんなおじさまも、今はもうこの世にはいません。
 もし、おじさまの言っていたことが本当だとするのなら、私が地獄に行った時、左腕のない鬼に責め苦を味あわされるのかと思うと、ぞっとします。
 そして、ちぎれた左腕を金棒の様に振り回し、罪人を攻め立てている鬼がいるかもしれないという事、この世の地獄を知っている鬼たちのあの世での責め苦はとても筆舌にしがたい物であるかもしれないという事を……。

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