悪意

 先日人から怖い体験談を聞いたのですが、それが非常に恐ろしいもので、口頭で聞いた話を少しまとめてみました。
 以下文中で私と書かれているところは体験した当人を指しています。
 一部口語と文語が混じったりしていますが、聞いた時の印象を成るだけ残しつついます。

 これは私が実際に体験した話で、つい先日ある出来事を契機にその思い出をはっきりと思い出し、今現在もそれが一体なんなのか、何が起こったのか分からないでいます。
 ただただ恐ろしく夢のようであって、それを現実のこととも思いたくないのですが。
 それは随分と昔のことで、私が物心ついた時はまだ牛がのんびりと道路を歩いているところもあって、そこから一回り、十年とかそこらの年月を経たような時分のことです。
 私は自動車の免許を取ったばかりで、練習がてらに家の車で三十分ほどぶらぶらと地元の道を走らせていました。
 ちょうど、地元の広域農道の近くまで立ち寄った私は、最後にここを少し行ったら帰ろうと思いました。
 その農道は上り下りが多くあるのですが、明るく見通しも良く、基本的にまっすぐな道が続きます。
 車通りも少なく、人がいるとすれば秋頃にミミ(茸)取りに来る人がいるくらいで、車を練習で走らせるには本当に都合の良いところでした。
 二山くらい超えて、ちょうど谷になっているところに差し掛かったときに、子供が二人遊んでいるのが見えました。
 こんなところで珍しいと思うと同時に、近くに親がいるようにも見えなかったので、私はどうしたのだろうと思って車を止めて声をかけようと思いました。
 女の子と男の子の兄妹のように見え、二人で草木の根っこを抜いて遊んでいるようでした。
 すると男の子が根っこを抜いた時に何かの紙片を引き抜いたらしく、それを手に持ってこちらに見せてくれました。
 引き抜いてから私が歩み寄ってそれを見るまでに十秒もありませんでしたが、夕方でもないのに空が赤く、そして木々が真っ黒になって迫ってくるような、不気味な様に変わったのを覚えています。
 男の子が持っていた紙片にはネズミが這ったような文字と四つの黒く塗りつぶされた円が書かれているだけでしたが、すぐにそれが本当に良くないものだとわかりました。
 なんと書かれているかわからないのですが、見た瞬間に言葉にできない悪意を感じ、これはそれを紙に閉じ込めたものだと感じました。
 私はゾッとして鳥肌が止まりませんでした。
 顔を上げると、男の子の両腕から黒い炎のようなものがわっと出ていて、先ほど感じた紙片から感じた悪意から、これは呪いなんだと直感的に思いました。
 ああ大変だと感じた私はともかく男の子を抱きかかえて、一刻も早く何処か安全なところへ逃げねばと思いました。
 すると気づいた時には私が何かに抱き抱えられていて、それはほとんど骸骨のように感じられる老婆で、突然宙に現れたかと思うとすーっと私の体を男の子から引き離してしまいました。
 気づくと私はあの農道に戻ってきていて、そこは元通り空はよく晴れていました。
 車も無くなっていて、一体なんだったのかと思ったのですが、あのゾッとするような悪意を思い出して私は一目散に走ってその場から逃げました。
 走っている間も後ろを振り向くことができませんでした。

 農道を抜けてからは少し安心しましたが、それでも早く家に帰ろうと思って走りました。
 この時は自分が足が速かったのを心の底から感謝しました。
 家に帰ると祖母がいて、車で出かけたはずの私が走って帰ってくるので、不思議に思ったようでした。
 私はともかく一度息を整えて、落ち着いてから先ほどのことを話しました。
 最初は信じてくれていない様子で、そのうちに祖父もやってきて同じように事情を話しました。
 やはり信じてくれてはいなかったようなのですが、私が本当に真剣に話すのを聞いて、あるいは何か知っていたのか、次第にその危機から逃れたことを本当によかったと言ってくれました。
 この不思議な体験を、いや、もう何十年も昔の話でしたので、ただの悪い夢のようにしか思っていませんでした。
 しかし、先日話は一変しました。

 私は今でも当時からの地元に住んでいるのですが、ある日、近所の方が畑を拡張するのに川向かいの土地をショベルカーで掘っていた時のことです。
 あの車が土に埋まった状態で見つかったのです。
 掘り出された車は私があの時乗っていた車に間違いありません。
 なぜあの車が土に埋まっているのかもわかりません。
 どうしてあの場所にあった車が私の家の川向かいに来ているのかも皆目分かりません。
 身の芯から冷えるような寒気がするとと共に、私はあの夢のような出来事が現実のことであったことに嫌な思いがしたのですが、何より一番恐ろしかったのはあの途轍もない悪意がどうであれ、現実に存在するということが分かったことでした。
 ちょうど私はその車を処分したところで、今、あの時のことを思い出して話したのでした。

朗読: ゲーデルの不完全ラジオ

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