マリーさんと真夜中のギター

【前回までのあらすじ】
(湘南の浜辺にほど近い中古の一軒家に引っ越してから、怪しいモノ音などにさいなまれていたボクは、 夢か幻か女性の霊らしきものと出会う。ある日料理をしている時に突然その霊が現れ、 裏庭に咲いているローズマリーを使えと言う。試しに使ってみると料理は大成功。 その時のローズマリーから、彼女の事を「マリーさん」と呼ぶことにした。)

【マリーさんと真夜中のギター】
 その日はひどい嵐だった。
 夜になっても雨足は弱まることがなく、時折轟く雷鳴から逃げるため、 ボクは早々に二階の寝室に引っ込みベッドにもぐりこんでいた。 しばらくしてふと気が付いた。
「あれ、いつの間にか眠ってた?」
 時計を見ると深夜2時を回っている。
 さっきまで轟音を鳴らしていた嵐は過ぎ去ったようで 逆にそのことで辺りはシーンと静まり返っている。まるで世界にボクひとりだけのような。
 だが、そうではなかったらしい。
 廊下の方からミシっミシっと誰かがゆっくり歩くような音がする。 マリーさんだ。
 ボクの家にはマリーさんという霊が住み着いている。 たまに見かけることもあるが、どうやら悪霊ではないようなので、そのまま放っておくことにしている。
 このマリーさん、二階の廊下を歩いていることが多い気がする。
 階段を登り切ったあたりから廊下を渡って、一番奥の何もないところまで行っては気配が消える。 だいたいそんな感じだ。
 不穏な足音も消え、静寂が戻って来たと思ったその時、どこからともなくギターの音が聞こえてきた。 昔懐かしいアコースティックギターの音色である。
 なにか寂しげな曲のようにも聞こえるが、かすかな音は果たしてお隣さんから漏れ聞こえてくるのか、 あるいは外で誰かが奏でているのか…。
 いや、現実逃避はやめよう。 これは間違いなく家の中から聞こえている。
 もしかしてマリーさんが弾いているんじゃ…と、思ったその時、 「ピーーン」と弦が切れるような音がして、それきりギターは鳴きやんだ。
 静寂の中、ボクはまた深く眠りに落ちた。

 翌日念のため各部屋を捜索して、どこかにギターがないか探してみた。が、当然ながら見つからない。 そんなものがあれば引っ越し当日に発見しているはずである。
 と、そこにピンポーンと呼び鈴を鳴らす音がした。 モニターを確認すると、そこには真っ黒な服を着た一人のお婆さんがいて、 門を無理やりこじ開けて入ってこようとしている。
「あわわ、今、今行きます!」
 慌てて駆け寄って話しかけてみる。
「あの~、御用件はなんでしょう……?」 するとお婆さんは、驚きの言葉を発した。
「あぁ、マリーさんはいるかい?」
「マ、マ、マリーさんですか? なぜあなたが知ってるんです?」
「知ってるも何もあたしゃマリーとは長年友達なんだよ、あんたこそ誰だい」
 驚きのあまり一瞬頭が混乱してしまった。
 お婆さんには家に上がってもらって少しお話を聞くことにした。
 お婆さんをテーブルに案内して、ボクは裏庭からラベンダーとレモンバーム、 そしてローズマリーを少しずつ採って来てフレッシュハーブティーを作った。
 お婆さんに振舞うと、「おや、あんたもハーブ知ってるんだ」と感心された。 そう、あれから少しハーブの事を勉強しておいたのだが、どうやら役に立ったようだ。
 お婆さんにいろいろ聞く前に、ボクはお婆さんに、 マリーさんが亡くなっていることを告げた。
「そうかい」と言ったまま、しばらく沈黙がつづいた。
 やっと口を開いたお婆さんから、マリーさんの昔の話を聞くことができた。簡潔にまとめるとこんな感じだ。

 マリーさんの本名は浜辺マリ。
 お婆さんは平原リリといい、若いころは歌手をやっていたそうで、 「リリー&マリー」として盛り場でギター片手に歌っていたこともあるらしい。
 元々マリーさんと言う名前はボクが半分冗談のようにして付けた名前だったのに、実は当たっていたという偶然に驚かされた。
「そうか、だから昨日ギターの音が聞こえたのかな……」そうつぶやくと、 平原さんは「なんだい? マリーのギターがまだここにあるのかい?」と尋ねてきた。
 ボクは昨晩の出来事を話し、ギターはどこにも見当たらないと告げた。
「マリー、まだここにいるのかい? ……なんだ水臭いねぇ。こんな男の前に現れるんならアタシの前にも出てきておくれよ……」
 そう言って天井の方を見上げる。空の上にいるマリーさんに語っているのだろうかと思ったが、実はそうではなかった。
「あんた、ギターがどこにあるかわからないって言ったね」
 平原さんはまるで僕よりもこの家の事を知ってるかのように言い放ち、 「こっちおいで」と立ち上がって二階に行くと言い出した。
  一段一段ゆっくりと階段を登る平原さん。 その後をゆっくりついていくボク。
 廊下を渡り、二階の一番奥まで来た。
「いつもここでマリーさんの気配が消えるんです」
 そういうボクを尻目に、窓のサンのあたりから1本の棒を引っ張り出した平原さん。
 棒の先端にはフックが付いており、それを天井に突き刺した。
 いや、そこには四角い枠があり、そのカギ穴のような場所にフックを差し込んでガチャリと下に引き下ろした。
「あっ」と驚いた。
 天井の枠はハッチのように開き、そこから梯子が出てきた。
「ほら、ここから屋根裏部屋に行けるんだよ。アタシはもうハシゴは登れないから、あんた一人で行って見ておいで」
 なんということだ、屋根裏部屋があったなんて、今初めて知った。
 梯子を上ると、そこには小窓のある小さな部屋があった。
 折り畳みの簡易な椅子とテーブルがあり、壁にしつらえられた本棚にはいくつかの小説やレコード、カセットテープなどがあり、 その下にギターが立てかけられていた。
 ギターは弦が切れており、少しガタも来ているようだった。
 ボクはそのギターを持って下に降りた。
「平原さん、ありましたよギター!」
「どれ、見せてごらん……ヤマハのN-1000だね。マリーのギターに間違いないよ」
 しばらくギターを見ていた平原さんが口を開いた。
「このギター、アタシにくれないかね? マリーの形見だ」
 一瞬それもいいかな、と思ったが、やっぱりあげられない。
「マリーさんはまだギターを弾きたがってると思うんですよ。 だからボク、このギターを修理して屋根裏部屋に戻しておこうと思います」
 それを聞いた平原さんは「そうかい、マリーがまだ弾きたがってるんじゃ仕方ないね」 そう言ってボクにギターを返してくれた。
「また来るよ」
 そう言って去っていく平原リリの後姿を見送ったあと、ボクはギターの修理をしてくれる楽器店を探した。

 それから3か月後。やっとギターが直って戻って来た。
 ボクはそれを屋根裏部屋に持ち込んで、スタンドに立てかけた。
「マリーさん、直りましたよ」
 そう言って屋根裏部屋を後にした。案外これで成仏してくれるかもな。なんて思っていたのだが……。
 その日の深夜、ふと目が覚めると、マリーさんが枕元に立っていた。
 ボクは半分寝ぼけながら「あっ、マリーさん……ギター良かったですね」と声をかけた。
 マリーさんは少し照れたような顔で「あなた、いい人なのね」と言ってボクの顔を覗き込んできた。 ちょっと恥ずかしい。
「また今度、ラーラが来たらお礼を言っておいてくださる?」
「ラーラって平原さんの事?」
 彼女は小さくコクっとうなずいた。ヒラハラだからラーラか。
 よく見ると彼女の傍らにはあのギターがあった。
 彼女は、 「お礼に歌います。聴いてください。みゆきさんの曲で『ホームにて』」そう言ってゆっくりギターを弾き始めた。
 ボクはなんだか申し訳なくて、布団から出てベッドの上で正座してそれを聴いた。
 優しく震える彼女の歌声と、悲しく鳴くギターの音色に、ボクはいつの間にか涙を流していた。
 なんだかわからないが涙がぼろぼろ止まらなくなり、彼女の姿も歪んで見れなくなっていた。
 どれくらい時間がたったであろう……ふと気づくと、ボクはベッドの上で土下座するような格好でつっぷして眠っていた。
 布団カバーは涙でぐしょぐしょだし、顔はぐちゃぐちゃだし、マリーさんはもう消えていた。
「うわー、カッコ悪いとこ見られた~」
 はずかしくて赤面ものである。 マリーさん、ごめんなさい。良かったらまた歌、聞かせてください…。

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