女と蛇の記憶

 みなさんは、一番古い記憶は何歳頃のものだろうか?
 私の一番古い記憶は、メイちゃんという名前の猫を飼っていた……というものだ。
 白い綺麗な猫で、鳴き声がちょっと変わってる。
 よく私のお腹の上で丸くなって眠っていて、私は身動きがしづらかったけれど、暖かくて心地のよい記憶。
 母いわく、メイちゃんは私が2歳になる頃に親戚に引き取られていったのだという。
 ということは、私の記憶は恐らく一、二歳頃からあるということになる。
 平均では四歳頃から記憶が形成されるというから、私はかなり早い時期からの記憶を保持してる可能性がある。
 私が思い出す怖かった経験も、記憶に纏わるものがとりわけ多いような気もする。

そんな記憶の話を母としていて、とあることを思い出した。
 昔、おばあちゃんちって赤い屋根の家だったじゃん?その家で変なものを見たんだよね……と母に話すと、母は少し不思議そうな顔をしたものの
 「うん……それで?」と聞いてきた。
 記憶は、おばあちゃんちの庭で縄跳びをして遊んでいたところから始まる。
  夕暮れ時、私はなぜか一人で遊んでいた。
 縄跳びに飽きた私は、家の中でお絵描きしようと思い立つ。
 勝手口のドアには特徴的な模様が付いていて、そのドアを開けて中に入ると、すぐ目の前にキッチンがあり、その奥、左側に二階に上がる階段がある。
 そのさらに奥には、ちょっと広めの和室があった。
 私は一目散にその部屋に向かう。
 壁には猫の魔除けが飾られていて、右奥には三面鏡のドレッサー。
 布団が二組、綺麗に畳んで置いてある。
 多分祖父母の寝室だったんだと思う。
 その日は窓から夕陽が強く差し込んでいて、部屋一面が赤く染まっていた。
 外からはひぐらしの鳴き声が聞こえていたが、家の中はいやに静かだった。
  私はちょっと怖いな……と思いつつも、その部屋で寝転がってお絵描きを始めた。
 静かなのが怖くて、鼻歌をちょっと大きめの音量で歌いながら、赤い屋根のおばあちゃんちを描いている。
 しばらくすると、どこからか女性のか細い声で、私の名前を呼ぶ声が聞こえた。
 「アキちゃん……」 どこから聞こえたのかと辺りを見回したが、誰の姿も見当たらない。
 そもそも、その抑揚のない機械のような声は、私の知っている誰の声でもなかった。
 「アキちゃん……」 再度聞こえて、それがどうやら上からする声だと気付いた。
  見上げて、少し驚く。
 天井の板が20cm程ずれていて、そこから黒い艶やかな長髪が、だらり……と伸びていた。
なんだろう。誰かな?
 幼かった私は、怖いというよりも、ぼんやりと不思議だな……と感じていたように思う。
 「アキちゃん……おいで」 三度呼ばれて、私はついに返事をしてしまった。
  「お姉さん、だれ?」 しばらくの沈黙があり、またも 「アキちゃん……おいで」 と繰り返してきた。
 見ていると、少しづつ髪の毛の見える部分が増えているようだった。
  ……降りてきている。
そう気がついて、ようやく怖くなった私は、「いかないよ!」と叫んだ。
  「おいで、おいで」 女の声は、おいで、と繰り返している。
  私は怖くてその場を動けず、「いかない!いかない!」と泣き叫ぶしかできない。
 「アキちゃん……おいで」 髪の毛が畳につくほど垂れ下がったのを確認した私は、体を丸めて耳を塞ぎ目を固く瞑った。
 耳を塞いでいるにもかかわらず、……どさっ……という、何かが地面に落ちた音が、床を伝う振動と同時に聞こえた。
 そこで私の記憶はなくなった。

「もしかしたら夢だったのかも……って思うくらい、モヤッとした記憶なんだけどね」 話し終えて、ずっと黙ったままだった母を見ると、母は口元を押さえて目を丸くしている。
 「その家の話、アキにしたことあった……?」 どういうこと?と聞くと、その「赤い屋根の家」というのは、母が幼い頃住んでいて、中学に上がる頃には諸事情から売りに出した家なのだという。
  もちろん、私が生まれるずっと前だ。
 そういえば……と母は続ける。
 私が幼い頃、(三、四歳くらい…とは言っていたが、正確には覚えてないらしい)当時の祖父母宅がマンションだったにも関わらず、しきりに赤い屋根の家を描いていて、「おばあちゃんち」と言っていたのを不思議に思ったことがあったとのこと。
 子供の想像力は逞しいなぁ……と微笑ましく思っていたそうなのだが、現在、話を聞いて、間取りから始まり、祖父母の寝室の魔除けや三面鏡やらが、赤い屋根の家当時と全く同じで酷く驚いたのだ。と。
 さらに母は、「その記憶に近いことが、実際私の子供の頃に起こってる」と言う。
 「私の時は、大きな蛇が天井の隙間から垂れ下がった状態で、鎌首をもたげてこっちを見ていてね……。怖くておじいちゃんを呼びに行ったんだよ」
  ダイニングで新聞を読んでいた父親(私にとっての祖父)をつれて戻ってきたが、その時には天井の隙間は塞がれていたらしい。
 まるで何事もなかったかのように。
 こんな話、アキにしたことなかったと思ったんだけど……。と、母はとても困惑していた。

 私も初耳だと感じたので、おそらくは聞いたことがないのだと思う。
 でも、だとしたら、なぜ私が知りもしない旧祖父母宅の記憶を持っていたのか。
 なぜ、幼い頃の母と似た記憶を持っているのか。
 そして、あの女は一体なんだったのか……。
 母の見た蛇と、なんらかの関係があるものかのだろうか?
 まだ答えは出ていない。

朗読: ゲーデルの不完全ラジオ

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