山の紫陽花畑

 小学低学年位の頃、近所の山にある小さな町を探検するのにハマってた。
 その山は、当時住んでた一帯で一番高く、登山道を示す簡素な看板も立てられてた。
 でも、登山道はその町につく坂道よりもっと急で、およそ上がる気にはなれなかった。
 それに、山道よりも、険しい坂道にひしめき合うように建ってる古い家の方が気になった。
 区画整理をされる前に適当に建てられたらしく、隙間もないくらい家が密集していたし、独特の雰囲気があった。
 見たこともない植物だとかが山の方から垂れていたり、鬱蒼とした景色も好きだった。
 怖い、という感覚は無くて、今思えば引き付けられるようにその山へと行っていた。


 ある日の事、坂道の突き当りに、壁が蔦で覆われたトタン屋根の小屋の奥に道を発見した。
 その土地は地面がどこかわからないくらい雑草が伸びていたけど、脇に細い獣道が山の中へと伸びていた。
 確か探検をしてたのは梅雨頃で、テレビでト○ロなんか見た影響で好奇心がくすぐられた。
 土地を仕切る柵なんかも何もないので、獣道を辿って山へ入っていけば、存外ずっと先まで続いていた。
 まだ背も小さかったこともあってか、道を歩くのに苦労はしなかった。
 周りに生い茂った雑草や木をおっかなびっくり見ながら歩いた。
 向こうも見えないくらい手入れをされていない場所なのに、不思議と怖くはなかった。
 道は案外長く、途中で近くからカラスの鳴き声が聞こえてきた。
 ガアガア、ガアガアと飛ぶ音もないのに藪の中から声がついてくる。
 そこに来るまで好奇心に突き動かされていたけども、流石に怖くなってその場で固まって、キョロキョロあたりを見回した。
 その時少し離れた場所から聞こえていた鳴き声がかなり近くでガア、と聞こえ、とうとう獣道を走り出した。

 何だかカラスがすごく怖いものに思えて、半泣きになってがむしゃらに走っていると、不意にカラスの鳴き声や木々の音がしなくなった。
 前方に草が掛かった行き止まりが見えて足を止める。
 そこでふと、右手にある茂みの向こうが開けていることに気づいた。
 なんだろうと思って草を掻き分ければ急に視界が広がり、薄紫色の紫陽花畑、みたいな明るい場所に出た。
 ぼんやり霧がかってて、相当森の奥まで来たのかな、と思った。
 でも道中の薄暗い獣道で味わった恐怖感からか、ついつい綺麗な景色に見惚れた。
 誰かの庭かな、と思いつつ、ここでも無性に興味を惹かれて、恐る恐る紫陽花畑の中に入った。
紫陽花は六列ぐらい並んでいて、列ごとに小道を挟んでいた。
 紫陽花畑と藪との間には小さな川?というか、水を引いてる風な浅い溝に板を乗せた所を通らなければならないようで、だいぶ古びた板の上をそーっと通った。
 近くで見るとより綺麗で、花一つ一つが萎びた様子もない。
 露でキラキラ輝いているようにも見えた。
 早く戻ったほうが、という考えともっと見ていたいという考えが入り混じって、結局しゃがみこんでじっと観察した。
 そこで、もっと奥はどうなってるんだろうと、またまた危なそうな考えを思いついてしまった。
 自分が紫陽花畑に来た方向から斜め向かい側にまだ紫陽花があったので、そちらの方へ行こうと立ち上がって、直ぐにしゃがむ。
 人がいたからだ。
 人がいるとわかった途端、やけに頭が冷静になり、勝手に入ったので怒られるのでは……と、足音を殺して来た方へ引き返した。
 案外存在には気づかれず、ちら、と様子を伺えば、その人はお坊さんのような格好をしていた。
 着物を着てる人をあまり見たことがなくて、ついついじっと見てしまった。
 髪を剃った若いお坊さん風の人は畑を見て回ってるようで、紫陽花しか見ていない。
 後ろ姿だけでも穏やかな雰囲気で、怖さは微塵も感じなかった。
 それでも、幼ながらにいけないことをしている気がして、自分はそそくさ来た道を引き返した。
 途中で迷うことなく獣道を歩いていき、途中でカラスの声は聞こえたものの、後をついて来ることもなく山を出た。
 

ようやく家についた時には汗だくで、空も橙色になっていた。
  母に興奮気味に見たものを話せば、人の庭なんじゃないの、と冷静に返された。
 あんまり危ないとこに行くなとも。
 母が正しいと分かっていながらも、紫陽花が綺麗だった、どうしても見せたいと言えば、母は散歩がてらに行けるならと、一緒についていこうかと言った。
 多分、自分の言い方からして、手入れはされてないものの、人の通れる道だと思ったんだろう。


 後日、犬の散歩ついでにまた山へ行った。
 でも、以前見たときとかなり印象が違った。
 前と同じく目印になってた小屋を見つけて、その脇道を分け入って、それらしき獣道も見つけた。
 でも凡そ歩けるような道じゃなかった。
 なんでこの道を迷いなく歩いていったのかわからないくらいの荒れようだった。
 前はどう進めばいいか考える間もなく走れたのに、少し進んだところで薄暗い森も怖くなり、直ぐにそこを出た。


 しょぼくれながら帰っていると、母は変だと疑問を言った。
 紫陽花畑でお坊さんを見たと言っていたけど、なんでお坊さんなのかと。
 母から、しょっちゅう自分が行っていた山は霊山だと教えられた。
 自分が行っていた町は、その山の僅かな土地を切り開いて建てた集落みたいなものだ。
 ずっと離れた山の麓辺りには大きな神社がある。
 自分が紫陽花畑で見たお坊さんは麓にある神社の人かと思ったけれど、そこは宗派的に髪を剃らないし、神社と山道辺りは随分離れている。
 かといって山の中にお寺がある訳でも、修行の場でも無い。
 考えるほど疑問ばかり浮かんで、何だか胸に物がつかえたような感覚だけが残った。


 結局何も分かることなく、つい先日かなり離れた場所に引っ越した。
 あの紫陽花畑で、お坊さんに気づかれていたら、奥へ進んでいたらどうなっていたのか。
 無性に気になる時がある。

朗読: ゲーデルの不完全ラジオ

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