口内炎

 とある歯医者さんの話。
 その日もいつものように患者を治療し、最後の患者を見送って 医院をクローズしようとしていた時の事である。
 一緒に働く衛生士のA子が「口内炎ができた」と言ってきた。
 A子を一旦チェアに座らせ、口腔内をチェックする。
 「ははぁ~ん、これね」
 右のほほの内側に 白く小さな口内炎が出来ていた。
 「じゃあ、電気代もったいないけど、レーザーで治すか」
 「ひど~い」A子が軽く悪態をつく。
 レーザーで炎症面を焼き、治療はすぐに終わってこの日はクローズドとした。

 翌日、またクローズ準備中にA子が相談に来た。
 口内炎がまたできたみたいだと言う。
 昨日と同じようにA子を座らせて診てみると、昨日治療したすぐ隣にもうひとつ口内炎が発生していた。
 「なんだしつこいな」そう言って昨日と同じようにレーザー治療を施して帰らせた。

 翌日は休診日で、一日置いて診療再開となったのだが、A子が朝から暗い顔をしている。
 どうしたと聞くと、例の口内炎の調子が思わしくないという。
 「わかったわかった。今日も朝から患者さんの予約がいっぱいだから、また終わったら診てみような」 そう言ってA子をなだめた。
 この日は急患もあり、予定時間を過ぎてやっと最後の患者さんを送り出した。
 時間延長もあったので、他の衛生士たちはみんな先に帰してA子だけを残した。
 「今日は疲れたな……」そう言いながらA子を座らせ口腔内を見る。
 患部を見た瞬間「なんだこりゃ?」と言ってしまった。
 先に治療した二か所の焼け跡の下にもうひとつゆがんだ形で口内炎ができている。
 治療した箇所が全体的に赤黒く炎症して膨らみ、まるで顔のように見える。
 人間は三つの点が集まるとそれを顔と認識してしまうらしい。
 いわゆるシミュラクラ現象というやつだ。
 「うわ、気持ち悪いな……」とこぼすと
 「先生ひどい~」とA子が言う。
 脱脂綿を使い患部を少し押してみると、 膿と血が混ざったようなものが患部からビュっと飛び出した。
 まるで口から血を流す醜い顔のようにも見える。
 「うぅ、ひどい!ひどいよ!」
 「オイA子少しうるさいぞ、だまってろ」
 「え?先生、私なんにも言ってませんよ」
 「はぁ?だって……」
 「ひどいよ……マサル君……」
 「マサルって、オレの名前……!?」 よく見ると、人の顔のようになった患部が明らかにこっちを見て 血を吐きながらしゃべっている……。
 「ひどいよ、マサル君……もういじめないって約束したじゃないか」 一瞬にして頭から血の気が引く。
 その口内炎の顔は、高校時代にいじめていた同級生にそっくりに見えた。
 ずんぐりとした、色黒で、どんくさい彼の事を確かにいじめてはいたが、 当時はそれがクラスのネタみたいなもので、手っ取り早く笑いを取るのに最適な奴だった。
 「み、みんなやってたじゃないか、オレだけじゃないよ……」
 「でもマサル君、ボクが窓を掃除している時に後ろから突き落としたじゃないか」
  「いや、誰も見てない、誰も見てないじゃないか、アレはただの事故ってことで片付いたはずだろ?」
 「そんな嘘をついても、死んだボクだけは絶対に騙されないからね、マサル君……」
  「?……先生、どうしたんですか」
  彼はエアタービンのスイッチを入れ、A子の口の中に押し込んだ。
 「A子君、これはダメだ、この患部はえぐりとらなきゃダメ!」
 「なっ、なにを……!」
 「だまってろ!動くな!」
 「ぎゃぁぁぁぁぁ!!」
院内にはエアータービンの音とA子の悲鳴が響き渡った。

 やがてその歯科医院を取り囲むように警察車両と救急車両が集まり、先生はその場で取り押さえられた。
 A子は病院に運ばれ緊急手術を受けたようだが、エアタービンのドリルがほほを貫通してえぐられていたらしい。
 その歯科医院は、それ以来閉院となっている。

朗読: 小麦。の朗読ちゃんねる

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