夜逃げ物件改修工事

 知り合いのJさんに会った時に、 「今度、夜逃げあとの住宅の改修工事に入るから、手伝いに来ないか」 と誘われた。
 詳しく話を聞くと、隣り町の駅前の店舗兼住宅らしい。
 田舎町なので、駅前と言っても、数軒の商店があるだけで、人通りも殆んどないところである。
 むしろ、この町の片側にある国道沿いに、沢山の企業が連なっていたので、仕事でも、買い物でも、遊ぶにしても、町の住人は昼夜を問わず、車で国道方面に出ることが多かった。
 Jさんは、大掛かりな工事に人手が足りず、何の技術もない私を、ただ頭数を揃えたくて誘ってきたと思っていた。

 現場に着いて、改めてその店舗兼住宅を見ると、通りに面して店舗があったらしく、シャッターが下ろされていた。
 その後ろに後付けされたような形で、二階建ての洋風の立派な住宅があった。
 住民は三世帯の家族で、借金に追われて夜逃げをした後、数年間そのまま放置されていたそうだ。
 敷地内は、伸び切った雑草で覆われ、外観も荒んでいた。
 敷地の片隅に木造の車庫兼物置小屋のような建物があり、こちらも朽ちかけていた。
 夜逃げなので、家の中には生活用品がそのまま残されていて、散らかり放題だった。
  恐らくだが、一階に台所、風呂とトイレ、広いリビング、子供部屋があり、二階に上がるとすぐ前に広い十二畳程の空間があり、その左右にそれぞれ扉があって、洋室があった。
 まずは、カビ臭。
 家中の壁紙の至る所に黒いカビ。
 そして、散乱する生活用品と朽ちた家財道具の山。
 かろうじて、冷蔵庫、洗濯機、テレビなどの電化製品はとても綺麗に見えた。
 子供用の車の乗り物やベビー服など、状況を考えると、胸が苦しくなった。
 Jさんが、 「店舗の方に行ってみて」 というので、私は、一階の台所横から繋がる店舗部分に足を踏み入れた。
 シャッターが閉まっていたので、薄暗かったが、どうやら物置き小屋のように使用していたらしく、古い家電やら衣装ケース、本やアルバム、引き出物などが散乱していた。
 あまり触りたくはなかったが、写真などは、ついつい手に取って見てしまう。
 そうしていると、上の方から、ススッ、ススッ、ススッ、ススッと足音がした。
 店舗の二階部分からだった。
 誰かいるのかなと思い、気にしなかったが、二階も見てみたかったので、脇の階段を上がった。
 左右にニ部屋あり、軽く覗くと誰もいない。
 畳敷きで、残留物を見るとどうやら、老夫婦がここを使用していたらしい。
 カーテンが閉められてはいたが、隙間から暖かな日差しが漏れていたので、良い部屋だったと思われた。
 先程、確かに足音がしたので、 「誰かいますか?」 と声を掛けたが、返事はない。

 少し不気味に思い、私は、Jさんのもとに戻ると、Jさんが、少し笑みを浮かべて、 「何かいなかった?」 と言った。
 それで私も納得した。 「だから私を誘ったんですね」
 Jさんが、不動産屋さんと下見に来た時も、不審な足音を聞いたそうだ。
 Jさんは、私が怪談好きなのを知っていて、連れてきてくれたそうだ。
 しかし、この物件は、夜逃げ物件である。
 住民は、生きるために逃げたので、死んでいるわけがない。
 もしかしたら、家が恋しくて、生霊でも飛ばしているのだろうか。
 私は、そんな事を考えながら、指示された作業に取り掛かった。
 こういう場合、多方面から業者が関わり、それぞれで下見をして見積りし、作業日程を作成する。
 残留物を撤去する業者、カビだらけの壁紙を担当する内装業者、大工さん、そして、Jさんのように電気工事を担当する業者などである。
 徐々に作業員が増えて、それぞれの担当の仕事を開始していた。
 建物横にはトラックが横付けされて、荷台の大きなコンテナ目掛けて、残留物などが投げ込まれていく。
 内装業者は、壁紙を剥がし、Jさんは、天井に換気扇や照明を増設する作業、私は、Jさんの補佐役。
 夜逃げあとの住宅は、生活感がそのまま残されていて、まるで人様の家に勝手に入り込んでいるような罪悪感を抱いた。
 その反面、残留物に残された住民の様々な秘密に触れて、好奇心はマックスの状態になった。

 その日の作業を終えて帰宅すると、高揚感も落ち着いて、一気に疲労感に襲われた。
 いつもより早く就寝すると、夜中、夢を見た。
 私は、その日、作業に行った夜逃げ住宅の玄関前に立っていた。
 おばあさんが家の中から出てきて、その姿が、私の目の前で、徐々に変貌していく。
  初めは普通のおばあさんだったのに、段々と薄くなって、顔からドロドロと崩れはじめ、最後は黒い影のようになった。
 「うわぁー」 と驚いていると、その黒い影はゆっくりと移動して、私の横を通り、敷地内の車庫の中へと吸い込まれていった。
 はっと目が覚めた。
 自分の部屋の布団の中にいると認識できて、嫌な夢をみたなと思わされた。
 その時、自分の寝ている頭の上の方から、ススッ、ススッ、ススッ、ススッとあの足音が聞こえて、人の気配を感じた。
 (誰かいる)
 別に金縛りということもなく、 (泥棒だったらどうしよう) と思って様子を伺っていると、その足音は、部屋の中を行ったり来たりして、ただ動き回っているだけのようだった。
 私はいつの間にか寝入ってしまっていた。

 翌朝家族に、 (夜中に誰か部屋に来たか?) と尋ねたが、誰も来ていなかった。
 この時点で、 (もしかしたら、あの家のおばあさんを連れてきてしまったのかな) という考えが頭をよぎった。
 ところがである。この現象が毎晩起こるようになった。
 夢におばあさんが出てきて、溶けて黒い影になり、車庫の中に消えて、目覚めると誰かが部屋の中を歩き回る。
  四回目の夜、私はたまらず、布団に入ったままの状態で、ただ天井に向かって、 「あした、あなたの家に行くから」 と、声に出して話した。
 すると、足音がピタリと止まり、静かになった。

 翌朝、部屋を出る前に、念の為もう一度、 「行きますよ」 と声に出して話し、部屋を出た。
 私は、自分の車を運転して、隣り町の現場を目指した。
 もしかして、おばあさんが、後ろの座席にいるのかと思い、バックミラーで何度も確認したが、私の目には、何も見えなかった。
 だから、私には、おばあさんを本当に連れてこれたかどうかなど、全く分からなかった。
 

 現場に到着してさらっと中を覗くと、早くも状況が変わっていた。
 残留物は全て撤去され、床板が剥がされ、大工さんが新しい木材を敷き詰めていた。
 本格的に改修工事が進んでいて、外周りも整備され、何より、車庫兼物置だった建物が、無くなっていた。
 つまり、取り壊されて、更地になっていたのだ。
 「車庫が無い!」 私は、急いで家の中に入ると、Jさんを探した。
 そして、浴室で作業するJさんを見つけて声を掛けた。
 Jさんは、驚いて、 「あれっ、きょうは呼んでないよね」 と言ってきた。
 「違うんです。Jさん、車庫が無くなってる」
「ああ、ボロかったから、壊したよ」 と言う。
 夢の中で、おばあさんが何度もあの車庫に入っていったので、何かあると思っていたが、まさか更地になってしまったとは、おばあさんもがっかりしているだろうと思った。
 それにしても、何であの車庫に入っていくのかと思い、 「Jさん、車庫から何か出なかったですか?」 と聞くと、 「ガラクタばっかりだったよ。車も無かったしね」 とのことだった。

 その後、私の家での怪奇現象は無くなって、おばあさんかどうかは不明だが、あの足音の主は居なくなった。

 そして、Jさんからの追加情報として、あの家の若夫婦が発見されたそうだ。
 だが、夜逃げした後、老夫婦とは別々に行動していて、連絡は途絶えてしまったのだという。
 その生死さえも不明のままである。
 ちなみにこの物件は、既に買い手が決まっており、すぐに引き渡される予定である。

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