何度も図書館に通っていたのに、耳慣れない単語だった。
普段は図書館の棚に並んでいない、利用客が自由に見られない本をそう呼ぶ。
単純に蔵書が多くて入り切らないとか、貴重だったり古かったりして安易に貸し出せないとか、そういうものを閉架書庫にしまっておくのだそうだ。
地元の10分足らずで周りきれるような小さな図書館しか知らなかった私は、大学でそう説明を聞いてドキドキしていた。
もちろんそれだけが理由という訳では無いけれど、大学の図書館は入学後の楽しみの一つだった。
家の近くの児童館や施設の図書室と違って、興味がある本が読み切れないほどたくさんあるのだと思うとにやけてしまう。
そんな気持ちだったので、入館証の学生カードをもらってからすぐに図書館に行った。
その大学では図書館で新入生向けに図書館案内をやっていて、職員さんが1年生を連れて図書館を周り、利用のルールやそれぞれのジャンルの棚の場所を簡単に教えてくれる。
そして同時に、図書館の学生職員の募集も行うのだ。 目的はそこでもあった。
本が好きだったのもあるが、大きな音が苦手でスポーツジムや工場のバイトが続かなかった私にとって、図書館の静けさは心地よいものだった。
それに学校でアルバイト出来れば往復時間も少なくて済む。至れり尽くせりだ。
「普段は見られないんですが、新入生ツアーでは閉架書庫の方も少しだけお見せしてるんです」
職員さんに先導され、1年生5人くらいで受付の奥の扉に向かう。
そうして2回くらい扉を抜けると、ちょっと薄暗くて広い部屋に出た。
図書館のブースよりもみっちりと詰まるように、たくさんの本棚がずらっと並んでいる。
通路側からは側面だけしか見えなくて、本棚と言うより陳列された巨大な菓子箱みたいだった。
「移動本棚って言って、スペースの節約でこうして隙間なく本棚があるんですけど。欲しい本がある時はこうやって……」
職員さんが本棚の横に着いているハンドルをぐるぐる動かすと、本棚がぐぐーっと動いて間に通路ができた。
ほかの1年生たちと一緒に「おー」と思わず声を上げて手を叩く。
その後はなんだかみんなテンションが上がって、みんなで楽しげに閉架書庫を見て回った。
無機質でシステマチックな雰囲気と、それとは正反対の古い紙の匂いで妙な秘密基地感が溢れていて、なんとも言えず童心が刺激される。
ふと、目が止まる場所があった。
浮かれて列から少し外れ、ゆっくりと眺めていた私の視界の端。A4くらいの白い紙と薄い緑色のコピー用紙が、それぞれ本棚の下からはみ出ていた。
スライドさせられるように2センチくらい本棚の下に隙間があるから、そこに滑り込んでしまったのかもしれない。
拾って職員さんに渡しておこう。 屈んで伸ばした指の先で、白い紙がさっと動いた。
私が触れる前に、本棚の下に引っ込んだのだ。
隣の緑色の紙は動いていないから、風ではない。そもそもここに窓はない。
混乱していると、動いていなかった緑の紙が、さっきとは違いゆっくりと本棚の下に引っ込み始めた。
さりさりさりさり。薄い緑色のコピー紙が音を立てる。
「これ、引っ張ってみようか?」
そんな考えが浮かんだ。
深く考えた訳では無い。ただなんとなく、再びその角をつまもうとした。
髪の毛だ。
そう思った途端立ち上がっていた。
もう僅かに端を覗かせるだけになった緑色のコピー紙の下に、絡まった髪の毛の束が見えた。
尚も聞こえる髪の毛とコピー紙の擦れるさりさりという音にぞっとして、私は案内の列に突っ込むようにして戻った。
もう本棚の方は見られなかった。
本棚と本棚の間や、床との隙間。そこで何かと目が合ってしまいそうで。
閉架書庫から出たあと、思った通り職員募集があったけれど、私が手を挙げることは無かった。
閉架書庫の本棚の間には隙間がない。人間どころか、犬猫が入るような場所だってない。
あのたった2センチの隙間に、何がいるんだろう。
今のところ新入生ツアーの他に、閉架書庫を見られるイベントはひとつも無いらしい。
ひょっとしたら一度閉架書庫を見せて、鈍い人だけ雇ってたり、とか。 それこそ本の読みすぎだろうか。