最終回:マリーさんと魂の拠り所

【前回までのあらすじ】
 湘南の海にほど近い中古の一軒家に引っ越すと、 そこにはマリーさんと言う幽霊が住み着いており、 料理にハーブをもらったり、 ギターの生演奏を聴かせてくれたり、 一緒にお化けを追い払ったりと、 なんだか不思議な幽霊との同棲生活が始まったのだが……。

【最終回:マリーさんと魂の拠り所】
 今日は朝からマリーさんの使っていた屋根裏部屋の掃除をしている。
 以前、平原リリがやって来た時に発見した屋根裏部屋だ。
 恐らくだが、マリーさん自身も晩年はここへは入れず、 何年も埃をかぶったままだったに違いない。
 掃除をしながら、マリーさんの残していった遺品の数々をつい眺めてしまう。
 マリーさんの歌声の入ったカセットテープらしきものも発見した。 今度じっくり聞かせてもらおう。
 壁に設えられた本棚の一番上からは小さな黒いケースが見つかった。 中を開けてみると勲章がいくつか入っている。
 ボクは金色の星型の勲章を手にして眺めた。 カッコイイ……。
 裏には「gallantry in action (ギャラントリー・イン・アクション:勇敢なる行動)」と書かれている。 マリーさんが付けていたのだろうか。 アクセサリーにしては良く出来ている。
 一通り掃除を済ませ、ボクは屋根裏部屋を後にした。

 その日の晩、ボクは不思議な夢を見ていた……。
 夜の横須賀、アメリカ海軍の空母や巡洋艦が見える。
 場面が変わってどこかの盛り場。
 米兵たちがパーティーを開いている中で、 スポットライトを浴びてギターを奏でている二人の女性がいる。
 一人は紫の刺繍が入った真っ黒のドレスに長い黒髪の女性。
 もう一人は白のオープンカラーにジーンズの女性……マリーさんだ。
 自分は米兵の一人になって、仲間たちと一緒に二人の曲を聴いている。
 最後の曲が歌い終わると、なぜか米兵たちが一斉に立ち上がって アメリカ国歌を歌いだした。
 やがて、モーゼの奇跡で海が割れたように、 兵隊たちが左右に移動し、ボクの目の前に一筋の道ができた。
 ボクはなぜか花束を持っており、スポットライトの二人の前に駆け寄る。
 そしてなんとマリーさんの前に跪くと、指輪ケースを取り出して 何か語っているではないか。
 これはどう見てもプロポーズだ。
 驚き戸惑うマリーさんが、やがてコクッと頷くと、 会場は大いに盛り上がり、割れんばかりの大歓声となった。
 その横で黒いドレスの女性が壁にある呼び鈴をピンポーンと押している。
「えっ?」
「ピンポーン……ピンポーン」
 はっと気が付くと、いつもの寝室である。 まだ深夜2時頃だ。
「ピンポーン……ピンポーン」
「えっ、夢じゃなくホントにピンポン鳴ってる!」
 ボクは驚いて飛び起き、モニターを確認してみると、 そこには紫の刺繍が入った真っ黒のドレスを着た女性が立っており、 門を無理やりこじ開けて入ってこようとしていた。
「あわわ、今、今行きます!」
 いや、この女性、さっき夢に出てきた……そしてこの雰囲気……
「平原さんだ。平原リリが、なぜ!?」
そう思うが早いか、平原リリは扉をすり抜け一気に階段を登り 目の前にものすごい速さで現れた。
「あぁ、あ……あなた、平原さんですよね……随分若返ったみたいですけど……」
「アンタかい。アタシ実は先週お亡くなりになっちゃいまして、 今日は遠路はるばるマリーに会いに来たってわけ」
「あの……亡くなったって……」
「あぁ、心配いらないよ。もうお葬式も済んだからね」
「あの……今日はどのようなご用件で……」
「うるさいね、あんたマリーのマネージャーかい?」
 幽霊に怒られた。
「マリーを連れて一緒に天国に行くのさ。さ、マリーはどこだい?」
 そう言う彼女の後ろに、マリーさんが現れた。
「ラーラ、来たのね」
「マリー! ……って、ちょっとこのドレスを着てるときは リリーって呼べって言ってるでしょ!」
 幽霊が揉めだした。
「まぁまぁお二人とも、ハーブティ作りますから、リビングへ行きませんか?」
 幽霊をなだめた。
 どうやら先週亡くなった平原リリは、いつまでもこの家に憑りついてなかなか成仏しない 浜辺マリを、無理やり一緒に天国に連れて行くつもりのようだ。
「少し寂しくなるけど、霊にとってはそれが幸せなのかな……」
 そう思いながらフレッシュハーブティを作る。
「少しどころではない。すごく寂しい……でも……」
 リビングの灯りは幽霊にも優しい少し暗めの設定にして、三人でテーブルに着く。
 幽霊同志、積もる話もあるようだし、ボクは静かにそれを見守っている。
「さっ、マリー……もういいだろ。一緒に天国へ行くよ」
 平原リリが立ち上がってそう諭す。 するとマリーさんは「ごめん、リリー。私行けないの……」 そう言って、やおら服のボタンをはずしだした。
「これ見て……」
「うぉーーい!」
 そう叫んでボクの前に立つ平原リリ。だが若干透けている。
「後ろ向け後ろ!!」
「ハ、ハイ」
 マリーさんが突如服を脱ぎ始めて、ボクはくるりと後ろを向かされた。
 後ろを向くと、そこには鏡があった。
 ちょっと好奇心からのぞき見できないか試してみたが残念、さすが幽霊だ。 鏡には何も映っていない。
「これがね、私をこの家に縛り付けているの」
 マリーさんの声だ。
「なんだい、これは……」
 いぶかしげる平原リリ。
「ちょっと、アンタ、これ見てくれる?」
「ハイ?」
 振り向くと、服を腰のあたりまで降ろしたマリーさんの背中があった。
「ん? なんだこれ……」
 マリーさんの白く透き通る体には、赤い紐のようなものが巻かれている。
 腰のあたりから肩の方までぐるぐると巻かれている。
 さらに下の方まで覗き込もうとした時、平原リリに殴られた。
「見すぎなんだよ!」
「ハ、ハイ」
 幽霊に突っ込まれた。
 話をまとめると、どうやらこの赤い紐のように見えるものが 結界のようにマリーさんをこの家にしばりつけており、 その大本を断たないかぎりマリーさんは成仏できないらしい。
「くそ、アタシの力でもどうしようもできないよ。成仏はしばらくお預けだ。 アンタ、家の中を捜索して、なんとしても手掛かりを探すんだよ」
 そう言って平原リリは消えていった。
「お手間取らせてごめんね」
 マリーさんも薄っすらと消えていった。
 今、朝の4時を回ったところだ。
 太陽はまだ出ていないが、空が下の方から明るくなり始めている。
 ボクは残ったハーブティを飲みながら考えた。
 この家にはマリーさんの屋根裏部屋のように、不動産屋も気付いていない隠し部屋がある。
 なら、地下室くらいあるのではないか? そう思ったが、当のマリーさんからも、ボクよりこの家の事を知っている平原リリからも、 そんな地下室の話は出てこなかった。やはり違うのだろうか。
 ローズマリーとブラックペッパーのハムエッグで腹ごしらえをしたボクは、 この日、朝から室内の捜索を行った。 が、結局成果なし。
 屋根裏部屋には新たな隠し扉もなかったし、 1階では地下室への入り口とおぼしきものを見つけることはできなかった。
 せいぜいキッチンの床下収納からハーブのお酒が出てきたくらいである。
 お昼はカップラーメンにバジルとミントを加え、チーズとタバスコを少々振って食べ、 少し休憩してから午後に探索を再開しようと考えていた……のだが、 昨夜平原リリにたたき起こされたのが効いてきたのか、 急に睡魔が襲ってきた。
「少しだけ……少しだけ昼寝をしよう……」
 リビングのソファに体を預け、ボクはうたた寝を始めた。 そしてまた夢を見た。
 ボクはお婆さんと口喧嘩をしているようだった。
 お婆さんは恐らくマリーさんだ。歳をとっても面影がある。
 ボクももう年老いており、手もしわしわだ。体も重い。
 が、マリーさんとの口げんかに負けたのか、杖を突きながら外に出た。 悔しい気持ちが伝わってくる。
 そのまま海まで歩いて、潮風に当たっている。
 よくわからないが、自分はどうやら海軍か海兵隊の軍人だったようで 海を見ながら戦争の事を考えていた。つらい経験をしたようだった。
 しばらくそうしているうちに落ち着いたのか、家に向かって歩いている。
 玄関に着き、ドアの前に立つがなかなか家に入れない。 マリーさんに合わせる顔がないという事だろうか。
 ボクは家の横に回り、塀と壁との間の細い隙間を通って裏庭の方へ回った。
 今は柵がしてあって入ることは難しいが、この時は裏庭に回り込めたようだ。
 ボクは家の裏手にある配電盤を開け、そこのスイッチを上に上げた。 と、裏庭の隅にある鉄板がゆっくりと開き、地下への入り口が開いた。 まさかこんなところに…。
 ボクはドキドキしながら夢の続きを見ている。
 地下への入り口が開くと同時にラダーが伸びてきた。 階段ではなく、垂直式のはしごだ。まるで潜水艦にでも入るようだ。 ボクはここを降りるようだ。
 だが危険ではないだろうか。 ボクはもう年寄りだ。こんなところを降りれるのか? と思ったが、ラダーを降りるのに邪魔な杖をポイと地下に投げ込んで、 ボクはゆっくりと降り始めた。
 が、とても嫌な予感がする。 心臓の鼓動が早くなる。
「はっ!!」…としてボクは飛び起きた。
 昨晩から見ている夢は、間違いなくマリーさんの旦那さんの記憶に違いない。
 なぜボクにそんなものを見せる…。
 いや、今はそれどころではない。 裏庭だ。急ごう。
 夢で見たのと同じ配電盤があった。 開けるとそこにはスイッチがあり、下がっている。
「これだ!」
 おもむろにスイッチを上げると、どこからともなくモーター音のようなものがして 裏庭の隅にある鉄板が開いた。
 開いたと同時に、鉄板の上に合った棚やプランターなどが持ち上げられ、 全部ひっくり返された。すごい力で開閉されるようだ。
 もうすぐ全開かと思われたとき、配電盤のスイッチがバチンと音を立てて落ちてしまった。 と同時にモーター音が途切れ鉄板が沈み始めた。
 スイッチがゆるく、すぐに戻ってしまうようだった。
 ボクはいったん戻ってガムテープを持ってきて、スイッチを上げ、そこで固定した。
 モーター音が鳴り、再び鉄板が上がり始めた。 そこから中を覗き込むと、照明がついており、エアコンも稼働をはじめたようだった。
 意を決してボクは夢で見たようにラダーを降りてみた。
 果たしてそこには……ミイラとなった遺体がソファに横たわっていた。
「彼だ……マリーさんの旦那さんに違いない」
 夢で見たことが本当なら、マリーさんと喧嘩をした彼は、帰りたいけど帰れず、 しかたなくこの地下のシェルターのような場所に避難したものの、 なんらかの原因で逆にここに閉じ込められて亡くなってしまったのだろう。
 ボクは一刻も早くこの事を知らせたく、マリーさんの名を呼ぼうとした。 が、その時、背後に気配を感じた。
「please wait. Don’t bring Marie here(待ってくれ、マリーをここへ連れてこないで)」
 彼だ。そこには凛とした顔つきのアメリカ軍将校の青年が立っていた。
 彼の言葉を簡単に訳すとこうだ。
「キミにはすまないと思っているが、今朝キミがオレの勲章を触った時に、 思いが伝わることがわかって、利用させてもらった」と。
 つまり夢を見させてここへ誘導したらしい。 彼の話ではここは核シェルターで、家を建てる前から地下に設置して、 マリーさんにも秘密にしていたらしい。
 夢で見た通り、老体に鞭打ってラダーを降りたものの、突然電源が消失し、 ハッチが締まり始めたため驚いてラダーから落ちてしまい、 その時に大腿骨を骨折したと言う。
 元々腰も悪くしており、動けなくなり、 外との連絡もできないまま数日間ここに閉じ込められ、 やがて失意の中、亡くなってしまったとのことだった。
 亡くなった後も、このシェルターの壁は霊的なものさえ遮断したため、 彼は今までずっとこの中に閉じ込められていたらしい。
「こんな醜くなった姿をマリーに見られたくない。武士の情けだ」
 なるほど、そういう彼の言い分はよくわかる。
 その時、ミイラの傍らに封書の束のようなものを見つけ、ボクはハッとした。
 それらは赤い紐でぐるぐる巻きにされていたのだ。 マリーさんの体のように。
 それを見つけて手にした時、彼が恥ずかしそうに言い訳をしだした。
「あぁ、それはその……笑わないでくれよ。 戦場にいる時にマリーが日本から送ってくれた手紙だ。 つまり、その、ラブレターだ。オレの宝物だ」
 彼がいいやつだってことが一気に伝わって来た。
 生きるか死ぬかの避難に使う核シェルターの中に、 ラブレターを持ち込む奴が、悪いやつの訳がない。
 そして、これこそがマリーさんの魂をここに縛り付けていたものだったのだ。
 お互いの思いが強すぎた、という事なのかもしれない。
 ボクは言った。
「どうですか。今夜みなさんで天国に登るっていうのは」
 彼は喜んでいるようだった。
「やっとここから解放される!」
「それじゃ、マリーさんの屋根裏部屋に全員集合といきましょう」
 ミイラの件は一旦伏せて、ボクらは屋根裏部屋へと向かった。
 もう日が暮れ始めている。「逢魔が時」だ。
 屋根裏部屋についたボクらは、小さなテーブルをはさんで立ち、 浜辺マリとその友人、平原リリの霊を呼び寄せた。
 テーブルにはあのラブレターの束が置いてある。 もう言葉にならない。
 表れたマリーさんはもうすでに泣いており、何も言わずに彼の胸に飛び込んで行った。
 あのクールだった平原リリも目を真っ赤にして、やっと声を絞り出す。
「もう6年も行方不明だと思ってたのに、こんなに近くにいたなんてね」
 彼がボクに礼を言う「ありがとう、キミのおかげだ」
 マリーさんも言う「あなたって、本当にいい人なのね」
 平原リリがテーブルの上の封書の束に目をやる「これがマリーを縛り付けているんだね」
 マリーさんが恥ずかしそうに言う
「だって、これって…私が一生懸命辞書を見ながら書いた手紙… 全部戦場に置いてきたって言ってたじゃない!」
「実は全部取っといたんだ。オレの唯一の心の拠り所だったのに、捨てられるわけないだろ。 でも言ったら恥ずかしいだろ!」
 幽霊がイチャツキだした。
 そんなやり取りを見ていてボクはなんだか安心した。 これならマリーさんも、天国で寂しくなく暮らせそうだな。
「じゃ、名残惜しいですが、そろそろ行きますか」
「ハイ…」
 3人の霊は神妙な面持ちになり、テーブルに目をやる。 ボクはラブレターを束ねている赤い紐にハサミを入れる。
「あっ、軽くなった」
 マリーさんが言う。 どうやら封印が解けたようだ。 そして今度こそ本当にお別れのようだ。
「ありがとう」
「ありがとうございます」
 口々にお礼を言いながら天に登って行く。 平原リリが最後にこう言って去って行った
「また来るよ」
「あはは」
 少しひきつってしまった。
 彼女の「また来るよ」は冗談に聞こえない…。
 なにか暖かい風に包まれて、まるで夢のような時間が過ぎ去った。
「…そうだ、警察呼ばなくちゃ」
 そこからはまた大変だった。多くの警察車両に取り囲まれ、 マスコミも大挙して押し寄せ、まぶしい照明で照らすものだからご近所迷惑も甚だしい。
「こりゃー明日は菓子折り持ってご近所まわりしなくちゃな」
 そう思っていた。 翌日にはいろいろなところから電話もあった。
 取材もあったが、まさか幽霊の話をするわけにも行かず、困ったものである。
 この家をボクに売ってくれた不動産屋の社長からも電話があった。
 売った時より500万円多く出すからこの家を買い戻させてくれというのである。
 核シェルター付きだとニュースで流れたから欲が湧いたのかな?
 以前経営していた会社の社員たちからも電話が来た。
 どうやらボクが出て行ってから業績が右肩下がりで、役員会ではまたボクを呼び戻して CEOに祭り上げたい意向があるらしい。
 なんだかすべてが一気に動き出してきた。
 まだ未来がどうなるかはわからないが、 なるようになるさ、という気持ちが強い。
 そして今ボクは、マリーさんと過ごしたこのお話を 1冊の本にできないだろうかと考えている。
 信じられない話だが、きっと読んでくれる人がいるはずだ。
「そうだな…まずは怪談好きな皆さんに読んでもらうとしようかな。 …いいよね、マリーさん…」

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