思春期の邪念

 中学一年の時の話である。

 私が通う中学校は、私が入学する五年程前に、火事で焼失して建て替えられたので、まだ新しい四階建てのきれいな校舎だった。
 二学期が始まって間もなく、ある噂話が持ち上がった。
 それは、同じクラスのH君のお兄さんが、夏休み中の夏期講習の後に、校舎の屋上から飛び降りて自殺してしまったという内容だった。
 遺書には、 「夏休み中の受験勉強に失敗した」 と書かれていたそうだ。
 まだ受験まで時間があるのに、相当追い込まれていたらしい。
 ところがその話には続きがあって、そのお兄さんが飛び降りたラインの四階の部分にあたる教室で、ふざけていた男子生徒が一人だけ誤って窓から転落してしまったとのこと。
 しかし、全くの無傷で助かったのだそうだ。
 きっと自殺したお兄さんの霊が助けてくれたんだという噂で、密かに盛り上がっていた。

 暫くして、音楽室での音楽の授業中のこと。
 私は、歌の歌い出しの部分がとても苦手で、上手く歌い始められず、遅れ始めると声が出せなくなってしまう。
 それで、くちパクになることが、よくあったのだが、その日は悲惨だった。
 音楽の担当教師のY先生が、ピアノを弾いて、それに合わせて、生徒全員で歌っていた。
 一番が終わった段階で、Y先生がスッと立ち上がり、私達の方へやってきた。そして、履いていた右足のスリッパを手に取ると、いきなり数名の生徒の頭を、そのスリッパで殴り始めた。
「きゃあー」 と声が上がって、倒れ込む生徒もいた。
 そして、私もスリッパで頭を殴られた。たいして痛くはなかったが、驚いて声も出なかった。
 すると先生が、 「今、叩かれたやつは、歌ってなかった」 と言った。
 女子は泣き出し、男子は、ざわついた。
 そんな状態なのに、Y先生は、再び狂ったようにピアノを弾き始め、泣いて歌えない女生徒は、再びスリッパで殴られた。何発も殴られた。
 後から話を聞くと、殴られた生徒は、私を含めて全員確かにくちパクだったそうだ。
 私は、 「Y先生凄い。くちパク全員当てた」 などと思っていたが、さすがに問題になった。
 それで、後日Y先生が謝罪の為、教室に来た時、私は不思議なものを見た。
 黒板の前に立つY先生の後ろに黒い影のような塊があって、それが徐々に下がって、Y先生の右足の部分を覆ってしまった。
 私は、Y先生の謝罪の言葉より、その影が気になって、全く話を聞いていなかった。
その翌日の朝礼で、担任の先生から、Y先生の事故の話を聞いて大変驚いた。
 Y先生は、前日の帰宅途中に、自分の車の自損事故で、民家の壁面に激突したとのこと。右足骨折のため、入院となったそうだ。
 暫くしてY先生が学校にいらした時は、両腕に松葉杖の状態だったが、音楽の授業には、何の支障も無かった。
 ただ、うちのクラスでは密かに、 「あの時、右足のスリッパで殴ったから、右足にバチが当たったんだ」 と噂された。
 しかし、 「それなら普通、殴った右手を怪我するんじゃないか」 との意見もあり、盛り上がっていた。
 私は、事故の前日に見た黒い影のことが頭から離れず、友人に話してしまった。
 するとその友人は、明るい表情になり、 「H君のお兄さんの幽霊じゃない」 と言った。
 実は、お兄さんの飛び降りた場所が、一階の音楽室の前だったからだ。
「H君のお兄さんが、仕返ししてくれたんだよ」 と、友人はとても満足げに話していた。
 そして私達の間で、H君のお兄さんのことを 「男神様」 と呼ぶようになった。仲良しグループの五人の間でだけの呼び名だった。
 多感な中学生の女子五人組だったので、「男神様」の扱い方もそれなりとなり、 「男神様、〇〇君が、私のことを好きになってくれますように」 とか、 「男神様、どうか、テストで良い点とれますように」 とか、アイドルに合わせて欲しいとか、クラスの〇〇を酷い目に合わせて欲しいなど、ほぼ日常的に使用していたと思う。
 その中で、よく登場していたのが、大嫌いなある先生への仕返しだった。
 それは、理科担当のS先生で、言葉の暴力が、甚だ酷かった。
 理科の授業は、教室で行う場合と、理科実験室で行う場合のふた通りあって、移動も面倒くさかった。
 S先生は、移動教室で少しでも遅れると教室に入れてもらえなくなるので、小走りで移動していたし、忘れ物にもねちねちうるさくて、印象はあまり良くなかった。
 それは、先生として当然のことなのだが、『見下し感』があからさまで、頭の良い子だけが、えこひいきされていた。
 授業中も、 「こんな簡単な実験もできないなんて」 「こんなの小学生でもできる」 という感じで、実験が失敗した原因を探すでもなく、ただ嫌味を連発してくる。
 テスト後の答え合わせでも、毎回のように、 「こんな簡単な問題なのに、お前ら本当に馬鹿だな」 と毒舌が止まらない。
 しかしよく見ると、その嫌味を発している先生の顔が、いつもにやけていた。(楽しんでいる) という感じだった。
 眼鏡を掛けていたが、その奥にある目も笑っているように感じられて、とても気持ち悪かったし、悪意も感じられた。
 だから陰で私達は、 「あんな言い方しかできないやつ、絶対結婚出来ない」 と悪口を言っていた。
 実際、年齢四十歳位だったが、独身の一人暮らしだった。

 ある日の夜中、私は、あまりの騒がしさで、目が覚めた。
 我が家の五軒程先の貸家が、火事で燃えていた。
 そこは、あの大嫌いな理科のS先生の家だった。
 木造の平屋だったので、丸焼けだった。先生は、火傷が酷くて救急車で病院に運ばれたとのこと。
 翌朝、母親が集めてきた情報では、S先生が深夜、お酒を飲んで酔って帰宅して、追い焚き式の風呂を沸かした。
 しかし、そのまま寝てしまい、火事になってしまったそうだ。
 自力で脱出したS先生だったが、上半身火傷の重傷だった。
 かなり前のことだが、中学の時の仲良しグループの一人と再会した。 話は尽きない。
 そして、あの「男神様」の話になった。
 私の中では、H君のお兄さんの幽霊話という認識だった。ところが、話が噛み合わない。
 すると、その友人は、 「何言ってんのよ! 男神様ってあなたのことじゃない!」 と言う。
 私が、 「えっ?」 と、驚いていると、 「中学の時のあなた、見た目がまるで男みたいで、でも優しくて何でもやってくれてさ」
 友人は少しためらいがちに、 「あなたにお願い事をして、あなたが念じると、何故か願いが叶ったのよ。覚えてない?」 と言うのである。
 私には、全く意味不明だった。
 ただ、みんなが願い事をしている時に、叶えば良いなという思いで一緒に念じていた。
 最後に友人が、 「あなた、今こそ女に見えるけど、あの時は男みたいだった。だからあなたが、私達の男神様だったよ」 と念押しされた。
 そういえばだが、音楽のY先生にスリッパで殴られた時、心の底から怒りを感じた。
 そして、 (あんなサイコパス、バチが当たればいい) と思った。
 そして理科のS先生においては、 (いつか大失敗して、何も言えなくなればいい) と思っていた。
 私だけでなく、みんなの念が集まって、怪異に繋がったのだろうか。それともただの偶然だったのか。

 ちなみに、S先生担当の理科の実験室は、お兄さんの飛び降りたラインの2階部分にあり、音楽室の上だった。
 今考えると、やはりH君のお兄さんの霊が、何かしら関わっているのではないかと思っている。
 なぜなら、S先生の家が火事になった日の昼間の授業中にも、私は、あれを見た。
 先生に視線を向けていると、またあの黒い影が現れ、驚いて凝視していると、その黒い影が、S先生の上半身を包み込んでいた。
 そして、急にS先生の顔がフラッシュして見えて、その合間合間に、S先生の顔が溶けて、目やら鼻やらが流れ落ちていった。
  他の人には見えていないのか、誰も騒がなかった。クラス全員が、静かにS先生の顔を見ていた。
 火事は、その日の夜におきた。
 後日、S先生も退院して、学校に復帰したが、顔の火傷あとが痛々しく、口数も少なくなって、何だか気の毒だった。
 何で私にだけ、黒い影が見えたのか、私には思い当たることがあった。
 夏休みの終わりに、学校で部活の練習試合があって、帰りに1年生で後片付けをしていた時、H君のお兄さんが校舎の屋上から、飛び降り自殺をしたらしいのだが、私達のいた校庭からは、死角になっている場所だったので、誰も気が付かなかった。
 その時、私はちょうど、熱中症の症状で、フラフラになっていた。意識が遠のき、気絶する瞬間、目の前に黒い人影が見えた。
 その影には顔のパーツが無かったにも関わらず、目が合ったような気がしたのだ。
 影の正体は不明だが、中学校で黒い影が見えたのは、その三回だけで、あとは見ていない。

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