背後の女

それは、いつもと変わらない夏の夜のことだった。

強いて違うことを言うのであれば帰り際に会社の同僚から怖い話をされたくらいである。

内容はというと、昨晩のテレビ番組で放送されていた『背後の女』という話で なにやら一人で夜道を歩いていると後ろから急に鈴の音と女の声が聞こえてきて振り返ってしまうと呪われる。 という、いかにも怖い話にあるような理不尽な話であった。  

そんな話を聞いたからか、いつも口ずさみながら歩く夜道でふと後ろが気になってしまったのである。

 自分以外誰もいない通り。

その道は狭い通りというわけでもないが、大通りから外れた場所なので遅い時間になると人通りは少なくなる。周りには畑が広がっており、ぽつぽつと電信柱の街灯があるだけで特になにもない。

この道をまっすぐ行くと橋があるのだが、それを超えると住宅地が広がっているので会社帰りのサラリーマンや 大学生などがちらほら通る道であった。

 生ぬるい風が体にまとわりついて消えていく。

先ほども述べたように今日は前を見ても後ろを見ても自分一人だけだった。

そうは言ってもそんなことも珍しくないので、変な話を聞かせてきた同僚に悪態をつきながら夜道を歩いている時だった。

チリン……

 そう、確かに聞こえてしまったのだ。

背筋が凍りつくように歩いていた足も固まってしまった。

認めたくない現実に今のは幻聴だと自分に言い聞かせてゆっくりとまた一歩ずつ歩き始めた。

チリリン……

 そうだ。これはあれだ。

夏の風物詩とも言われている風鈴の音に違いない。

久々に怖い話を聞いてしまったものだから、過剰に反応してしまっただけだ。

特に怖いのが苦手というわけでもなかったが、たまに聞くとこうも意識してしまうものなんだな、 などと自分を説得し早く家に帰ろうと足を速めて気がついてしまった。

 この通りには家はない。

きっと風変わりな人が畑のどこかに風鈴でもつけたのだろう。

毎日通っている道だが今まで気がつかなかったな、と前を向いた時、また違和感に気づいてしまった。

「進んでいない。いや、戻っている……?」

 ふいに声に出してしまったがもちろん聞いている人などいない。

きっと、自分が感じているより疲れているんだと電信柱を2つ過ぎ3つ目に差しかかろうとする瞬間、 目を閉じたわけでも目眩がしたわけでもないのに1つ目の電信柱に戻されている。

風景が変わっているようで変わっていない。

しかし、一向に歩いても歩いても橋にたどり着けない。

チリン……

 またその音がした。

後ろからだろうか、はっきりした音の発信源がわからないが本能的に後ろは振り返ってはいけないと感じた。 しかし、進んでも進んでも帰れない状況と謎の鈴の音にパニックになり始めていたのだろう。 後ろを向いてはいけないが、前には進めないのならば、前を見ながら後ろに進んだらどうなるのだろうか。

チリリンッ  

 その音は間違いなく今、目の前で鳴った。なにもない目の前で。

慌てふためき息苦しくなる鼓動を抑えつけて後ろに一歩踏み出した。

その踏み出す反動で後ろに振られた手のひらに何かが当たり違和感を覚えた。

少しごわっとして細長く何やら湿っているようで指の間に絡みついてくるような不快感に慌てて手のひらを 目の前に持ってくるとそれは絡みついた女の長い髪だった。

もちろんその髪はいまだ本人とつながっているようで手のひらの髪は自分の後ろへと伸びている。息が詰まる感覚と全身の震え、これは危険だと本能が警報を鳴らしているのが痛いほどわかった。振り向きたくない気持ちとは裏腹に自分の体がゆっくりと後ろを振り返ってしまう。

 そこには、ぼさぼさの髪の間からにっこり笑う口元が見えた。

朗読: 繭狐の怖い話部屋
朗読: 瀬奈ゆみこー迷走にゃんこ【怪談朗読】

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

閉じる