コシアブラ

 山菜のタラの芽は、ご存知の方も多いと思うが、東北地方ではコシアブラという山菜もよく食べられていた。
 山菜は、環境の変化による影響を受けやすい。
 この話は、東日本大震災より前の話である。

 私の父は、1年を通してよく山へ行っていた。
 ただし、季節によって目的も異なり、山菜だったり、キノコだったり、それぞれに父だけの秘密の場所があったらしい。
 私は、子供の頃から、父の採ってきた山菜やキノコ、あるいは魚などを散々食べさせられていて、少々うんざりしていた。
 しかしその中に一つだけ、大好物の山菜があった。 それがコシアブラである。
 春先に出てくる新芽の部分を食べる。
 元の方にあるハカマの部分ごと天ぷらにしたり、おひたしにすることが多かった。
 春菊のような独特の風味があって、タラの芽に比べると少し苦味がある。
 しかしそれが美味しさのポイントだと思っている。
 ある年の4月中旬、父は、友人の佐藤さんとコシアブラを採りにM県北部の山に入った。
 その日の朝、母が父に、 「お父さん、今日は山に行かないで」 と話したそうだ。
 父が、 「何で?」 と聞くと、母は夢の話をしたそうだ。
 前日の夢の中で、母が雨の中を傘をさして歩いていると、前方にあるベンチに老人がずぶ濡れで腰掛けており、気の毒に思った母は、自分の傘を差し出し、 「お爺さん、この傘使って下さい」 と言ったそうだ。
 するとその老人は、 「ありがとう」 と言って傘を受け取り、 「あした、武三(父仮名)はまずいかもしれない」 と言ったそうだ。
 だから、母は、 「お父さん、今日はやめにした方がいい」 と話したようだ。
 ところが父は、 「佐藤さんと約束してるから、行かないと」 と言って、出かけてしまったそうだ。
 よく晴れてやわらかな日差しの中、父と佐藤さんは夢中になって、コシアブラやタラの芽を籠いっぱい採ったそうだ。
 昼になり、父達は休憩しようと無人の山小屋へ向かった。
 そこは、父がよく利用していた場所で、ロッジ風の建物の横の階段を上ると、建物の前面部分にテラスがあり、日当たりも眺めも良かった。
 だから、佐藤さんを案内して、そこで昼食をとろうと階段を上がった。
 そして、テラスに踏み入って、まず腐臭に襲われ、足が止まったという。
「うわぁー」
 後ろにいた佐藤さんが、物凄い声を上げて父も我に返り、次に二人共、腰を抜かして倒れ込んでいたという。
 父の目の前に、テラスの上部から縄でぶら下がる男の遺体があったそうだ。
 首吊りだった。
 二人は、慌てて引き返して民家を探し、警察に連絡して頂いたという。

 遺体の身元はすぐに判明した。
 その当時、地元のニュースで話題となっていた人で、多額の公金横領の当事者だった。
 その日、父の帰りが遅く、母が心配していると、遅くにぐったりと疲れ切った父が帰ってきて、事の顛末を語ったそうだ。
「だから、今日はやめておけば良かったのに」 と、父は母から散々言われたらしい。
 そして、父が採ってきた山菜の籠の中を見て大変驚いたという。
 恐らく籠いっぱいに入っていたと思われるコシアブラとタラの芽が、めためたと腐って、変色していたそうだ。
 普通なら数日は保存可能だが、 「半日しか経ってないのになんで?」 と父も母も不思議に思ったそうだ。

 その翌日である。
 ニュースを見ていた父が、慌てて首吊りのあった山にコシアブラを採りに行くと言い出した。
 母が、 「怖い思いをしたばかりなのに何で行くのか」 と聞くと、父が、 「テレビのニュースで、山菜を採りにきた人によって発見されたと言っていたから、他の人も大勢来てしまう」 と焦っていたという。
 それで私も納得した。
「そうか、あの場所はコシアブラを採るための、父の秘密の場所だったんだな」と。
 その前夜、母は、また夢を見たそうだ。
 ずぶ濡れでベンチに腰掛けていたお爺さんが、また出てきて、 「もう大丈夫だ」 と言ったそうだ。
 雨がやんで、お爺さんには、気持ちの良い光が差していた。
 朝起きて、ふと、仏壇の中の昔の家族写真を取り出して見ると、その中にずぶ濡れのお爺さんの顔を見つけた。
 父の祖父だったそうだ。
 母は続けて、 「きのう、コシアブラがめためたと腐っていたのは、死んだ人の何か悪い気のせいだよ。お父さん、危なかったわ。あのお爺さんが助けてくれたのかもね」 と言っていた。
 同行した佐藤さんの詳細は不明だが、ひと言、 「もう二度と山には行きたくない」 と言われたそうだ。

朗読: ゲーデルの不完全ラジオ

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