夕涼み

 我が家では、いつの頃からか土日の夕飯の買い出しは夫の役割というルールがあって、夏真っ盛りな土曜日のその日も、夕刻からママチャリを漕いで数キロ先のスーパーに出掛けた。
 買い物を終え、少し肌寒いくらいにエアコンがかかった店内を名残惜しみながら外に出ると、蒸しタオルで全身を覆われた様な不快指数の振りきれた暑さにゲンナリする。
 19時半でこの暑さだと今夜は熱帯夜確定だろう。
 食材を収めた段ボールを荷台に結びつけ、妻に『帰るコール』を入れてから自転車を漕ぎだす。
 日の入り後のグラデーションがまだ僅かに残った夜空には、夏の星座が勢揃いしている。
 車通りがほとんどない住宅地の路地を通り抜けながら、わりと大きな声で暑い、ダルいとぼやいていると、30メートル程先、路地左手にある学生用アパートの植え込みの縁に腰を掛けている人影が見えたので、ぼやくのをやめた。
 人影に近づくにつれ、それがお爺さんだと判別がついた。
 ランニングシャツにステテコというスタイルで足を組み、夜空を見上げている。
 口元にやった手のそばでオレンジ色の小さな明かりが見えた後、お爺さんの口から煙が吐き出された。
 そのタイミングでお爺さんの前を横切った私は、煙草の臭いを微かに感じながらチラリとお爺さんを見やると、空中に拡散していく煙を見ながら心地よさそうな表情をしていた。
 不意に前方から夜風がフワッと通り抜けた。
 川面を渡って来たのかと思うほど涼しい風に心地よさを感じつつお爺さんから離れていく。
 やがて突き当たりが迫り、右に曲がったその途端、また纏わりつくような熱気が戻り、結局、家に着いた時には服のままひとっ風呂浴びたみたいになっていた。

 翌、日曜日も夕方から買い物に出掛け、昨日とほぼ同じ時間にその路地を通った。
 同じ場所に、同じお爺さんが、同じ様に煙草を吸っていた。
 そして、涼やかな風が通り抜ける。
 それにしてもお爺さんは良い夕涼み場所を見つけたもんだなと、煙草の臭いを感じながらその日も横目に心地よさそうなお爺さんの顔を眺めた。
 その後も毎週末、お爺さんはそこにいた。 そこにいて煙草を吸っていた。
 そしてその姿を見る時、なんだか最初に会ったあの日を繰り返しているような錯覚に陥った。
 それほどにお爺さんの行動がいつも同じなのだ。
 煙のたなびきかたすら一緒なのではと思う程に。
 それと、路地を通っている時、なんだか懐かしい雰囲気に包まれる。
 お爺さんの格好が昭和チックなせいもあるのかもしれないが、漂う空気感やどこかの家の夕飯のにおい、漏れ聞こえてくるテレビの音さえも、どこか懐かしさをはらんでいる。
 そして突き当たりを右に曲がるとそういうものが薄れていき、家に着く頃にはお爺さんのこともすっかり忘れてしまっていて、いつもこの路地のことを妻に話そうと思っているのだが、いつもそれが叶わないのだ。
 路地を通る度、今日こそはと思っているのだが、帰宅するとなぜかすっかり忘れている。
 そしてそれは、次回この路地を通る直前まで忘れていて、お爺さんの人影を見つけた時に思い出すのだ。
 いや、今、こうして書いてるってことは忘れて無いじゃないかと指摘したい方もおられるだろう。
 それは、その後に妻に伝えられる日が来たからである。

 その日も路地に入ると30メートル程先にお爺さんを確認した。
 その時、自分の鼻先に小さな刺激を感じた。
 ヒヤッと冷たい刺激。お爺さんの15メートル程手前で自転車を止めて、鼻先を触る。
 濡れた感触がある。空を見上げる。灰色の暗い空からフワフワと舞い落ちてくるものがあった。
 雪だった。
 えっ? と思った。が、いや降っても不思議じゃないと気付く。今は12月なのだから。
 もう一度、えっ? と思った。
 私は、お爺さんを見た。お爺さんは私を見つめていた。
 ランニングにステテコ姿で12月の夜に寒がる気配もなく煙草を吸いながら、少しばつの悪そうな表情を浮かべていた。
 そして、煙草を深く一口吸い、ゆっくりと煙を吐き出すと、その煙を纏うようにしてお爺さんは消えていった。
 消えた途端に外気が急激に冷え込んできた。 というよりも12月相応の気温になった。
 私も冬の装いで手袋も着けている。今が12月であることは判っている。
 なのに、なぜ今の今まで、お爺さんの違和感に気付かなかったのだろう。
 思い返すと、お爺さんの居る路地を通っている間は、ずっと夏の雰囲気だった気がする。
 夏から秋、秋から冬と当たり前に季節は移ろい、それを間違いなく体感していたというのに、なぜ変に思わなかったのだろう。
 催眠術にかかったことはないが、そんな感じだったのだろうか?
 この路地に来ると、そういう催眠のスイッチが入るというような。
 あるいは、この路地だけパラレルワールド的な別世界だったのか。 はたまた狐か狸にでも化かされたのか……。

 雪が強くなり、更に気温が下がってくる中、そんなことを取り留めなく考えていたが、寒さというより薄気味悪さに身震いがしてきたので、路地を引き返し、別なルートで帰宅した。
 帰宅後も路地の記憶は消えていなかったので、ようやく妻にお爺さんと路地のことを報告できたが、気味の悪いこと言わないでと怒られた。
 そもそもは、お爺さんが涼風の通る路地で気持ち良さそうに夕涼みをしているという、夏の趣きのある話として伝えようとしていたのだが……。
 それから暫くは路地を避けて通っていたが、桜が咲いている頃に一度、勇気を出して通ってみた。
 お爺さんの姿はなく、ただの春の路地だった。
 夏に通ったらひょっとしてと思うが、今はまだその気になれない。

朗読: 小麦。の朗読ちゃんねる

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