一番古い記憶

 ボクの覚えている一番古い記憶。それは家族で サーカスを見に行った時の記憶だ。
 ステージはかなり遠く、虎が走り回っているのが小さく見えていた。
 自分はそこで靴を片方無くしてしまい、すごく困った記憶がある。
  一緒に行ったおばあちゃんが 「あそこにあるよ」と教えてくれて、ボクはベンチ席の下に転がっていた靴を見つけて一安心していた。
 もしも靴をなくしたことをお母さんに知られたら、どれほどビンタされるか判らなかったからだ。
 ……おそらく四歳くらいの時の記憶だ。
  母親は厳しい人で、今なら児童虐待で通報されてもおかしくないような人だった。
 オネショでもしようものなら、裸のまま玄関から外に放り出された。
 言い忘れていたが自分は北海道生まれで、そのようなことが真冬の雪の中でも行われた記憶がある。もちろん自分はギャン泣きである。
 そんな厳しい母親に、それでもベタベタに甘えていたのも事実で、今思い返しても子供の心理とは不思議なものだと思う。
 虐待されている子供は必ずしも母親を恨んでいるとは言えないのだ。
 その話はまた別の話なので一旦置いておこう。

 そんな厳しい母親と対照的だったのが、おばあちゃんの存在だ。
 昔は今と違って祖父母と一緒に住むのがほぼ当たり前の社会。
 ボクは虐待されては、おばあちゃんのところに逃げ込んだ。
 いつも優しいおばあちゃんの膝で何度眠ったことだろう。
 小さく暗いおばあちゃんの部屋は、いつもボクの逃げ場所だった。
 四歳の頃に一番古い記憶があるからと言って、当時の記憶をすべて覚えているわけではない。
 例えば、そんな大好きなおばあちゃんが、い つの間にか仏壇の遺影に替わっていた。
 いつ亡くなったのか、まったく記憶にないのである。
 自分はと言うと、相も変わらず虐待を受けてはおばあちゃんの部屋に逃げ込み、仏壇の前で丸くなっていた。
 そうしていると、いないはずのおばあちゃんが優しくなでてくれている気がしたからだ。
 だが、さすがに小学校高学年、中学生、高校生 と大人に近づくにつれ自分もだんだん強くなり、 おばあちゃんのことはだんだんと忘れていった。
 母親の虐待ももうない。
 自分の方が大きく、それにもまして母親は大病を患っており、もう昔の面 影もなくなっていた。

 そんなある日、とうとう祖父も大往生した。 齢九十である。
 自分にとって初めてのお葬式となった。
 いや、本当は祖母のお葬式にも参加して いたはずなのだが、まったくその記憶がないのである。
 だからお通夜の時にその話を家族にしてみた。
「おばあちゃんが亡くなったのって、ボクが何才の時だっけ?」と。
 だが、母親の口からは信じられない言葉を聞かされた。
「おばあちゃんなら……、あんたが生まれてすぐに亡くなったわよ」
「え? すぐって……三歳とか、四歳の頃……」と言い終わる前に「何言ってんだい、0歳の時だよ。 だからあんたはおばあちゃんに会ったことなんて ないんだよ」
 そんなバカなと、父親にも親戚にも聞いて回ったが、みんなが口をそろえて言う。
 おばあちゃん はボクが生まれてすぐに亡くなったと。
 じゃああの、優しかったおばあちゃんの記憶はなんだったんだろう。
 自分にとって、一番古い記 憶に残っているおばあちゃんの姿はなんなんだろ う……。
 心霊とかオカルトとかを、ただのエンタメだろ うと思って信じてこなかったが、今となっては亡くなったおばあちゃんがボクを天国から見守ってくれていたんだと思いたい。
 ……そして今、祖父の葬式におばあちゃんも参列しているような、そんな気配が感じられてならない。

朗読: ゲーデルの不完全ラジオ
朗読: 十五夜企画

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

閉じる