第零子

 学生誰しもあると思います。
 受験だとか卒業間近とか、そう言った場面で謎の焦燥感に駆られること。
 特に私は成績が良かった訳ではなかったので、なおさら受験期には強い不安を抱いていました。
 それにいじめの被害も経験しています。
 何かと精神的に不安定になりやすい十代でした。
 高校受験を控えた冬のある日、脱衣所の鏡を見ると気になったのです。
「こんなにお腹出てたかな」
 私は文化部でしたし、運動も体育以外ではしていなかったので、体型にも自信はありませんでした。
 その時は夕食直後だからと思いそのまま着替えました。
 後日、改めて見たら前よりお腹が出ていました。
 太ったと言うより、文字通り前に出っぱっていました。
「あれから食べる量も控えてるのに」
 勉強以外にも悩みの種ができるのはもちろん嫌でしたが、年頃なこともあり気にしていました。

 また後日、さらにお腹が前に出ているのです。
 その頃には妙な吐き気や不快感があり、 胃が圧迫されているような苦しさで体型を気にする余裕なんてありません。
「妊婦さんみたい」
 もちろん当時中学生の私はそのようなことは致していません。
 なのに太ったというだけではない謎の膨らみ方をしていました。
 内科の先生に相談もしました。
 先生曰く、「年頃の子はみんな体型を気にするよ。君は健康的」だそうです。
 自然と反り腰になる程のこの異変に、私は疑問を抱えたまま年を越しました。
 少しは動けば気持ちもすっきりすると思い、小さい頃よく散歩していたルートを歩いていました。
「もし。相田さんの子?」
 (相田は私の苗字(仮)です)
 呼び止めたのは、昔からよく知るお寺のおばさま。
「どうしたの。ちょっと苦しそう」
「はい、もう受験間近で。ストレスかもしれませんね」
「あら、じゃあ……このお腹は?」
「分からないんです、病院の先生は何もないって」
 その時のおばさまは表情がこわばったような、心配しているような、そんな様子でした。
「お母さんにはお話してるの?」
「気にしすぎでしょって」
「女の子からしたら一大事よね。うちにあがっていらっしゃいな、寒いでしょ? せっかくだからお話して行ってよ」
 おばさまは私の悩みを無かったことにせず明るく仰っていました。
 私もせっかくならと聞いてもらう気満々にお邪魔したのです。
「それで、おめでたじゃないのよね?」
「はい、違います」
「ご病気でもないと」
「はい、違います」
「……うちの人にこのこと話してもいいかしら」
「住職なら何か心当たりがありそうですか」
「私も目星はつけてるんだけど、ほら。 ダブルチェックよ」
 何の審査が始まったのか急いでおばさまは住職を呼びに行きました。
 連れてこられた住職も焦った様子で駆けつけてくださいました。
「私が年頃の娘さんに触れる訳にはいかないからおまえが見てやりなさい」
 住職がおばさまに言うと、おばさまは一言 言って私のお腹周りを触ってみるのです。
「確定だと思うわ。あなたはどう?」
「妊婦にしては小さいのに前に出っぱってる。明らかに妊婦ではない」
「年末からお腹が大きくなっていって苦しくて、気持ち悪いんです」
 今まで気のせいと言う大人ばかりだったのに、2人が慌てて聞いてくれるのが嬉しくて、 素直にその時の状態を話しました。
「受験で切羽詰まってるのか、変な夢を見るんです」
 煌々としたライトが当てられ、背もたれが傾いた椅子に座り息苦しくなる夢。
「お茶を用意してあげなさい」
「はい、あなたは御守りと説明を」
 2人とも慌てた様子でその場を離れました。
 先に戻って来たのは住職。
「よく聞きなさい。君のような優しくて刺激に弱いお嬢さんはつきいられやすい」
「何にですか」
「子どもたちにだ」
 ならば寧ろ喜ばしいことのようにも思える。
「この子どもたちは君の想像するもんじゃない。生まれられなかった子どもたちだ」
「幽霊ですか」
「大まかに言えばそうなる。彼らは生まれ直しをしたいのだ。それも君のような刺激に弱い人ほど入り込む隙がある」
「人に優しくするのも、だめなんですか」
「それはこう言った場に限った話じゃないがね。優しい人は良いものからも悪いものからも人気なのさ。子どもたちだって優しいお母さんがいいだろう?」
 生まれることが出来なかった子ども。 私を選んでくれた子ども。
「そこ!」
「はいっ!」
 突然の大声に肩を振わせるとさらに住職は続けました。
「許容する優しさがあってはならんのだ。 悪いものに愛着を抱けば君の活力を持って行かれる。相手が生きておってもだ」
「活力はそんなに……」
「受験へのやる気ではない、身体的活力だ。不調があると言ったな」
 受験の努力を蔑ろにされたくなくて、咄嗟に反論してしまいましたが、確かにそうでした。
 自分の声は聞こえないからと、胎児同然にうずくまっていたのかもしれません。
「寝具につけて寝なさい。 あとは早めに寝れば自然と落ち着く」
 そう言って住職は数枚お札が入っていた封筒を持たせてくれました。
「もしだめだったら?」
「その時はまたうちを訪ねなさい。うちの人脈を使って善処しよう」
「ありがとうございます」
 用意された座布団から腰を上げると止められた。
「待ちなさい、お札だけでなおるもんでもない。飲んでけ」
「はい、お待たせしました〜」
 おばさまはお盆に湯呑みひとつ乗せて戻ってきました。
 先程とは違って安堵の表情です。
「ほうじ茶ですか」
「似たようなもんよ、火で射ることが大事なの」
 湯呑みに映った私の顔は妙に引き攣っていてキツい印象でした。
 赤ちゃんが泣く時のように眉根にぐっと力が入っていたのです。
「ご馳走様でした」
「量を飲ませて治るなら出してあげたい所だけれどそうすると体調に響くからね」
「何が入っているんですか」
「鬼灯の葉よ。昔は堕胎薬としても使われたの。とはいえ少量だし、他のものと合わせているから安心して」
 薬の知識はさっぱりでしたが馴染みのおばさまが言うのだからと頷きました。

 それから2週間もしないうちにお腹は元通りに、体調も安定したのです。
 お札を外すことも許可が降りましたが、何故かそのお札を捨てることはできないまま今も引き出しにしまっています。
 今回取り憑かれた形で擬似妊娠をした訳ですが、住職からの教え「優しい人には良い人も悪い人も寄ってくる」というのは、大人になった今でも頭に残る教訓です。

朗読: ゲーデルの不完全ラジオ

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