金魚と在り方

 あの子はまぁまぁ。あの子は微妙。
 その隣は収まるところに収まった、という感じかしらね。
 女の価値は見れば分かる。容姿に生活の全てが出るから。
 ブランドものの服、バッグは小さければ小さいほどいいのよ。
 お財布が入らないくらい小さいということはひとに奢らせる技術があるってことでしょ。
 その小さなバッグすらも男に持たせ、街を闊歩する。
 SNSで注目を集める女はそうでなくっちゃ。これもオーラの一種なの。
 女の稼ぎなんて最初から知れてるもの、男から巻き上げ良いところで手放して次に乗り換える。
 良い女のやる株売買みたいな戦術。
「ちょっと、お嬢さん」
「何ですか」
「そんなちっさい鞄くらい自分で持たなならん。彼は君の召使いじゃない」
「…Kくん行こう」
  顔のいい彼の腕を引いて。あんな知らないオバサンは若い美女に嫉妬して難癖つけて来る。クレーマーも良いところよ。
「自分の行いは自分に返って来るぞ!」
 捨て台詞でも吐いてないとやってられないんでしょうね。 あんな見窄らしい女になるもんか。
 ああいう風にならない為に私は私のビジネスで稼いでるんだから。
 横にいる男だって私の容姿の一部よ。見た目も良い方が愛着も湧くでしょ。 そこそこで別れるけど。
「Kくん、私このお店がいい」
 どれくらい呑んだのか。辺りはすっかり暗くて、夏だからか遠くで祭りの喧騒が聞こえる。
 その音は徐々に近づいているようだった。
 Kくんが運んでくれてるのかな。なんだか全身に冷たい感覚。コポコポと不思議な音。
「どこなんだろう」
 目を開けるとギョッとした。水色部屋に大きな、弱っている金魚たち。
 上を見上げればゆらゆらと歪む人の顔。 ジャブンと音を立てて白い膜が迫ってくる。
「金魚すくい 3匹までなら連れて帰れるよ!」
 頭でそんな訳がないと思っていても実際にポイらしきそれは私を追ってくる。
 周りを見れば疲弊した様子で泳ぎに破棄のない金魚。
 この狭い空間でポイとの追いかけっこを楽しむ金魚。端で溜まっている金魚たちと様々だ。
「お母さんこれやりたい!」
「だめよ、うちに金魚鉢ないんだから」
「じゃあ買ってよ!」
「持ち帰らなくても金魚すくいはできるよ。坊ちゃんやってくかい?」
「うん!」
 冗談じゃない。こんなのただの悪夢よ。呑みすぎたって。この状況を受け入れてたまるもんですか!
 ジャボッと勢いよく音を立てたポイは目の前の弱った1匹を持ち上げた。
 しかし3秒もしない内にその金魚はもとの位置に落ちてきた。ぐったりとした様子でゆっくり流される。
「あー、惜しい!」
「うちの金魚は元気だからね」
 元気なもんか。もう全身の筋肉に緩みが見られる。
 今戻ってきたあの子は何回これを繰り返したんだろう。泳がなければ、抗わなければ、あんな風に寿命を早めてしまうのだろうか。
 揺れる水面から見える屋台主の笑顔が醜く歪む。でもまだ金魚はこんなにいる。 祭りでみんな捕まる訳じゃない。うまく身を潜めていればその後は…。
 その後は、どうなるのだろう。たかが安い金魚だからと目に留めてさえいなかった。
 どうなるか分からない不安が波の如く一気に押し寄せる。
「あら、金魚。涼しげで良いわね」
「奥さん一回どうですか?」
「そうね、やってみよっかな」
 まただ。こちらの恐怖も知らず水面の外の人間たちは楽しそうだ。
 私は必死に泳いだ。弱ってる金魚を押し退け少しでも速く、捕まらないように。
 しかし押し退け通過した群れの先にあったのは部屋の角。後ろには迫るポイ。みんなやすやすと交わしていく。
「待って!行かないで!助けて!」
 ポイの薄くて硬い縁が私の腹に食い込む。
 部屋のへりに押し当てられ痛く、苦しくもがいていたら身体が宙を舞った。
 ーチャポンッ。
 目を開けると、部屋の色が変わっている。
「ギリギリだけど良しとしましょう!」
「よかった〜」
 嘘よ。あんなに必死に泳いだのに。あんなに苦しみながらもがいたのに、逃げられなかった。
 何でこんな見ず知らずのオバサンに!
 そう思って顔を覗いてみると、違ったのだ。
 私は彼女を知っている。あの時、私に文句を言ってきたオバサンだ。
 よりにもよってこんな人に捕まるなんて。
 でも、連れ帰らないかもしれない。他の金魚も捕らえられるかもしれない。
 その両方の微かな希望はいとも簡単に壊された。
「せっかくだし、連れ帰っちゃおうかな」
「お似合いですよ〜。ラッキーだなぁ、なかなか元気なのをゲットなさって」
 待って!止めて!
「ありがとうございました〜」
「毎度〜」
 外の世界がいつもより眩しく映る。 祭りに来たことはあったけどこんなに眩かったかしら。
「ただいま〜」
 屋台の持ち帰りの袋をカウンターにそのまま置く。袋の中はやはり狭い。
 人のお飾りになることがこんなに窮屈で不快なものだったなんて。
 移動中波の動きに酔い、身体を何度袋にぶつけたか。
「綺麗ね、ブランドものじゃないけど。」
 そう言うとオバサンは写真と針とライターを横に置いた。
「見た目も綺麗だし実用的。素晴らしいわ。」
 金魚のものと同じような丸くて感情のない目をこちらに向けている。
「金魚って3秒しか記憶がもたないのよね。普通の金魚なら、ね。」
 何を言っているのだろう。袋の外で女の口元が緩む。
「あなた、あなたなんでしょう?男も持ち物もお飾りのあなた。綺麗になったわね」
 反論しようにも口をパクパクするしかできない私。
「ちゃんと金魚になったのね。あなたと一緒に屋台にいた金魚ちゃん。一体何匹が本物の金魚なのかしら。あなたみたいな子はたくさんいるから」
 この事態はこの女が起因なのか。
 私みたいな、とはどこまで私と同じ条件を指すのだろう。
「でも困ってるんでしょう?自分ではどうしようもならないって。だから私が助けてあげる」
 女の顔がグッと近づき、大きく見開いた目がアップになる。
「魚の血が欲しかったのよ。生き血ともなれば効果も増しそう。簡単な呪いよ。針に魚の血をつけてライターであぶった後、目、鼻、口、腎臓を刺すの。」
 金魚は、私は観賞用ではなかったのか。 沈んでいったあの子のように弱るまで穏やかにーー。
「仕方ないわよね。主体性のない子は自分の最期も選べない。でも私は有効活用してあげる」
 すると女は袋を鋏で切りカウンターに溢れる水をそのままに私を抑えつけた。
 水もなく押しつけられて苦しい。 目を爛々と輝かせた昂揚した女の手が熱い。
「次は選べるといいわね。」
 こんなことになると分かっていたら生き方だって改めるのに。
「材料になってくれてありがとう。血、もらうわね」
 トンッー。
 金魚である私の身体には太すぎる針が勢いよく腹を貫通した。
 痛みと苦しさで視界がぼやけてそのまま何も見えなくなった。
 きっと私は目を開いたまま醜い死面を晒したんだろう。

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