当時、小学生だった私の弟が実際に体験した出来事です。
その年の夏休み、弟は地域の子ども対象のキャンプ合宿に行きました。
近くの自然公園にあるバンガローで二日間泊まりながら、バーベキューや工作教室などを体験するものです。
当時私は中学生でしたので同行せず、弟の居ない静かな家を楽しんでいました。
弟がキャンプに行って二日目の夜、十時頃に家に電話がかかってきました。
キャンプをしていた自然公園のスタッフさんからです。
どうやら何か問題が起こったらしく、このままキャンプを続けるのは難しいだろうから弟を迎えにきてほしい、ということでした。
応対した父が詳しい事情を聞こうとしましたが 「怪我や病気ではないが、肝試しでちょっと問題があった、電話だと説明しづらい」 とのことではっきりしません。
仕方なく母と私も一緒に車で弟を迎えに行くことになりました。
公園に着いた時にはすでに十一時を回っており、スタッフさんと弟以外の子供たちはすでに寝ている様子でした。
私たちが管理棟のような大きな建物に入ると、ジュースを手に持って泣き腫らした目の弟が駆け寄って来ました。
以下は弟とスタッフさんから聞いた話を合わせたものです。
夜八時ごろ、夕飯を食べ終わった後にレクリエーションで肝試しが行われました。
自然公園は中央に遊具のあるアスレチックがあり、その周囲をぐるっと囲むようにハイキングコースが通っている作りです。
肝試しはそのコースを一周して、スタート地点のバーベキュー場まで帰って来るという簡単なものでした。
もちろんコースの途中にもスタッフさんが立ち、子供たちを見守っていました。
また低学年の子が一人にならないよう、バンガローの班ごとに回ったそうです。
肝試しといえど、脅かし役などはいなかったためコースを普通に歩いていました。
コースの中盤に差し掛かった頃、弟は急にお腹が痛くなり、班のメンバーに先に行くよう話すと、一人でトイレを探し始めました。
バーベキュー場に戻ればトイレはあったのですが、友人の近くで大便をするのが恥ずかしい、とバカなことを考えたそうです。
幸いなことに、少し戻るとスタッフジャンパーを着た中年の男性に出くわしました。
弟が事情を説明すると、そのおじさんはコースのすぐそばにあるバンガローへと弟を連れていきました。
次の瞬間、気がつくと弟は真っ暗な部屋に居ました。
窓からの微かな明かりで、そこが風呂場であることと、服を着たまま暖かいお湯に使っていることがわかりました。
足に伝わる不快感から、靴も履きっぱなしだと気が付きました。
混乱した弟は、大声で先ほどのまで一緒だったスタッフさんを呼びましたが、返事がありません。
とりあえず風呂を出ようと湯船のへりを掴んだその時、すぐ後ろから耳元に 「はぁぁぁーーー……」 という女性の長いため息がかかりました。
背中はピッタリ湯船にくっついているのにも関わらずです。
後ろに人が入る余地などない、と気づいた瞬間、風呂の縁に手をかけた体勢のまま、弟の体は硬直し、金縛りにあったように動かなくなりました。
どう動かそうとしても、顔から下がびくともしないのです。
弟が懸命にもがくあいだにも、耳には女のため息がかかり続けていました。
女のため息は風呂場に反響して、わんわんと不快に重なります。
恐怖がピークに達した弟は、唐突に小学校の校歌を歌い始めました。
声を張り上げて女のため息をかき消そうとしたのでしょう。
ほとんど叫ぶように一番を歌い終わり、二番に入ろうとした時です。
パッと風呂場に灯りが灯り、ついでスタッフのお兄さんが慌てた様子でやって来ました。
先に戻った班のメンバーから弟が一緒でないことを聞いたスタッフさん達が、数人で探しに来ていたようです。
とりあえずコースを名前を呼びながら逆に探していると、弟の歌声が使われていないバンガローから聞こえて来ました。
そこで急いで鍵を取り、風呂場で弟を見つけたということでした。
始め、話を聞いた両親と私は、弟は不審者に悪戯でもされたんじゃないかと疑いましたが、すぐに連れて行った病院では特に何をされた形跡もなく、その可能性は低い、と言われました。
後日警察の調査も入り、そこで初めて聞いたことですが、弟が見つかったバンガローは、電気は隣と共有していたとかでブレーカーを上げれば点きますが、ガスは止められていたらしいのです。
弟がはぐれてから見つけられるまで10分も経っておらず、その間に冷めないよう、他から湯を持ってきて湯船に張るのはあり得なくはないが難しい、とも言われました。
さらに、スタッフはほとんどがアルバイトの学生で、弟が出会った中年男性はスタッフの中に居なかったとも言われました。
警察には今後も継続して調べる、とは言われましたが、その後特に何の知らせもありません。
現在弟は成人していますが、未だに風呂に入る際は風呂場と脱衣所のドアを開けています。 キャンプ場はまだ営業しているようです。
なぜおじさんに話しかけて女の声が聞こえたのか、なぜ狭いコース内で他のスタッフに見つからずにバンガローに入ったのか、そもそもバンガローの鍵はどうやって開けたのか。
考えれば気持ち悪くなりますが、弟は鉄板のネタとしてよくこの話を披露しています。