幽霊哀歌~応報篇~

 前にも書きましたが、因と果に応じて報ずる。
  人それを因果応報といいますが、これは、応報、つまり、因果が産んだ結果の話になります。
 もし、興味があれば、この前日譚が、幽霊哀歌~因果篇~として、投稿させてもらってますので、それも読んでいただけると助かります。

 この話は、怪談なのか、不思議な話なのか、ただ単に、罰が当たったのか、正直、どれでもないかもしれませんし、どれでもあるような気がします。
 知り合いの神主さんの二代目曰く、「父親とも話したが、やっぱり、こうなったな」
 知り合いのお坊さん曰く、「心を改めなかった、その結果だな」
 知り合いの医者曰く、「親の因果が子に報うとはよく行ったもんだが、あれは、自業自得だな」
 当時の担任の息子曰く、「あー、やっぱ、問題児は問題児だったか」
 共通の知り合い曰く、「さもありなん」

 この話は、随分と時間がたっております。
 そうですね。私が大人になり、それなりに自分に自信が付き、世の中を知れた年齢になっただけの時間がたった、と言っておきましょう。
 完全に大人になった私と兄の関係は兄弟である物の、多少の変化がありました。
 「おい、兄貴、明日も仕事なんだろ?やめとけよ」そういう私の隣で、息苦しそうに荒い息を吐く兄は、ここまでの道中、と言っても、車で50分ほどの距離ですが、じっと動かず、眠っていたように思われます。
 「うるせぇ、金は払ってるんだから、いう事を聞け」そういう兄の顔は、病気により、浅黒く、そして、やせ細っており、しかし、目だけはらんらんと獲物を狙う獣のようにギラついていました。

 あれから、随分と立場が変わりました。
 あの一連の出来事以降、中学卒業まで、兄の長男教の優位が続きました。
 が、祖父が死に、年老いた祖母の発言力が減ると、次第に私が反発する様になったのです。
 自分自身で言うのもなんですが、友達もでき、家族以外にも色んな話をし、経験も積み、高校生を卒業するころには、長男教を引きずる兄と会話すること自体が少なくなりました。
 というのも、ここからの兄は、甘やかされていたツケがここにきて出てきたようで、片頭痛の発病による学校の休みに、中学までの習慣が抜けず、高校には遅刻の常習犯、成績も低迷し、ぎりぎり卒業、その後、二年の浪人生活を過ごし、県外の地方大学に補欠合格して、一人暮らしを始めましたが……、結局、留年を繰り返し、中退という憂き目にあいました。
 そして、就職は父親の会社に入れましたが、生来のものぐさ、長男教の影響、そして、逃げ癖と、責任逃れを繰り返した結果。
 そこでも、居場所がなく、遅刻常習者で、誰からも相手にされないという状態になってしまいました。
 そして、随分前からの持病でもある頭痛の悪化に加え、バセドウ病が発覚し、そして、病院嫌いに拍車がかかったのが、土気色の肌にあからさまなおかしい状況であっても、通院もせず、悪化するに任せている、という状況になっていました。
 しかも、運転にも、それが表れており、物凄い荒い上、煽り運転を繰り返した結果、折角買い与えてもらった車を自損事故で廃車にし、その影響で免許取り消し状態になったにも関わらず、無免許運転状態で父親の大型バンを乗って、事故を起こしたため、執行猶予がついたとはいえ、いわゆる前科者一歩手前という状態になっていました。
 そのころには、両親にも、他の家族からも相手にされず、腫れ物を扱うような状態になっていました。
 しかし、三つ子の魂百までとはよく言ったもので、私も、そんな状態の兄をあまりほかっておけず、有料で良かったら、目的地まで送っていくことはよくありました。
 交通機関を使えば、もっと安く行ける物だと思うのですが、目先の楽さをとるあたりが、流石は、兄だと、今でも思います。
 「俺は、送っていったら、帰るからな。俺も、明日は仕事なんだから、付き合えないからな」
 「わかってる、早く運転しろ、この愚図!」
 何度目かのやり取りの内、目的地に着きました。
 子供の頃、遠征で訪れたあの森です。
 あの時は、半日もかかったのに、高速道路を使えば、こんなにも早く行けるもんなんだなぁと、毎回、過去のトラウマと共に思い出していました。
 ここは、昆虫も、植物も、魚も色んな生き物がいる為、飽きないんだろうなぁとは思うのですが……。

 その日は、ちょっと、違いました。
 今の時間は、夕暮れ時、兄は、この時間帯から、森を闊歩して、時間になれば、近くを走るバスの最終に乗って、電車を乗り継ぎ、大体2時間かけて帰ってくるのですが、殆ど、真夜中に返ってくるのがいつものパターンなのです。
 しかし、その日は、何時になっても帰ってこなかったのです。
 両親ともに「どうせ、バスに乗り遅れたんだろ。ほかっておけ」という反応でしたし、私も、「まぁ、朝帰りして、いつも通り、遅刻していくだろう」と、軽く考えていました。
 生活リズムが全く合わない為、一緒の家に住んでいても、顔を合わせることが稀な上、こっちから接触を図る事はないので、気にもしてませんでしたが、その日は、いくらたっても、それこそ、24時間以上たっても、何の連絡もありませんでした。
 流石に、私は、「何かあったんだろう、見てくる」といい、同じく流石に心配する両親にご飯をとっておいてくれと頼み、車で、兄と別れた所へ行きました。
  着くころには日は完全に暮れており、懐中電灯の灯りだけで歩くのはかなり心もとなかったですが、それこそ、何かに巻き込まれて最悪の状態になっている兄を見るのは、夢見が悪いと思い、かなり必死に探しました。
 これ以上は、警察に、電話した方がいいかなと頭によぎった頃です。
 点滅するライトの小さな灯があるのに気がつきました。
 森のかなり奥の方でしたので、昼間ではわからず、夜にならないと解らない、その程度の小さなライトの灯でした。
 その点滅の仕方から、兄のつけてたヘッドライトだと思い当たった私は、引っかかる木の枝に苦戦しつつ、その近くに行ったんですが……。
 ヘッドライトのみ、其処にある状態でした。
 しかし、、近くで何かが呻く声がします。
 「兄貴、其処にいるのか?いたら返事してくれ!」 その呼びかけに答える様に呻く声が大きくなりました。
 その声を頼りに近づいていくと、異臭と共に、背筋がぞわぞわと、いや、何本もの筆で背中をなでられているような、不快すぎる感覚に襲われ始めました。
 近づきたくない、そんな、思いが頭によぎりましたが、流石に躊躇しているわけにもいかず、その場所に近づくと、兄が倒れていました。
 そして、その体や周りには、沢山の蠅、百足や、蜂、蛾、名前も知らない昆虫がびっしりとたかっていました。
 そして、何かが腐ったようなにおいがあたりに漂い、きついアンモニアの匂い、恐らく野良犬や野良猫の糞尿だと思うのですが、そんなものまで大量に有るのか、おぞましい状況になっていました。
 「兄貴、大丈夫か?何があった?」 動いているので、生きてはいるのでしょうが、普通の状況だったら、こんな状態でここにとどまっているわけがありません。
 兄がうめくような声で、 「頭が……、痛い……」
 その声を聴いた時点で、まず、救急車を呼び、事故にでも巻き込まれたのかもと思い、警察も呼びました。
 ほどなくして到着した救急隊員さん達が「う……!」と絶句する匂いと状況、そして、警察も到着し、状況を説明しました。

 その後、搬送された病院に私が移動し、兄の病状を聞きましたが、蜂やら、百足やらの虫毒にやられてはいるが、原因は不明。
 酷い状況ではあっても命に別状はなく、後日、レントゲンを撮っても、心当たりのある病状の診察を一通りしてみても、異常は見受けられず、持病に片頭痛があると説明した所、その症状がストレスにより、ひどく出たのではないだろうか、と言われましたが、あの状況になるのはどう考えても説明ができない、という話でした。
 鎮痛剤を処方されたのか、ベットに横たわる兄を病院に任せ、車で自宅に帰るころには、明け方近くになってました。
 両親からは、「状況が解らないし、電話があるんだから、早く出て、状況を知らせろ!」と怒られましたが、言われてから、あれだけの事があり、すっかり忘れていた事を思い出しました。

 そんな話を、月参りに来た御師様に話した所、「それは、恐らく、祟りだよ。その地にいる生き物、土地神、道祖神……。昔からその地に根付く信仰の、堪忍袋の緒が切れたんだろうね。こうなっては、本人が心の底から自分のこれまでの行いを反省し、謝り続けるしかないと思う。どんなお払いも、どんな霊能力者と呼ばれる人たちでも、恐らくは、もう、無理だ。僧籍のある物として、言いたい事ではないが、こうなっては、どんなお経ももう、届かないだろう。無為に殺してきた小さな命、その恨みが積もり積もり、長い年月をかけて怨念となり、祟りとして、降りかかった、のだろうと私は思う。これで、少しでも、性根が叩き直れば、いいんだが、無理だろうな」
 そういい、帰っていきました。

 兄は、病院から帰った後も、変わる事はありませんでした。
 ただ、私が、いくら積まれても、二度と送っていかない、という事と、それでも、懲りずに自分であちこちに行き、そのたびに倒れて、病院の世話になる事と病気の悪化の報告が増えた、ということ以外は、ですが。
 因果応報を受け入れられない、そう考えられない、そういった獣を見ているようでした。
 これも含め、総てが、子供の頃にやった神や仏や命への冒涜が(因)、沢山の小さな命を屠る慢心を育てる切っ掛けとなり(果)、その結果、長い年月をかけて、不摂生を行い、落ちていく健康や仕事の成果や人間関係と全体的な成果の悪化(応)、それでも立ち直るつもりもない自分の慢心と不健康(報)。
 良くも悪くも、人間とは、長い時間をかけて、天罰をくらうものなのだなと、思いました。

 これを読んで、少しでも心当たりがある人は、今、この時が、因果応報を立て直すチャンスだと思います。
 自分の行動を、見つめなおし、反省し、小さな命も大切だと思えた時……、きっと、誰かが、貴方に手を指し伸ばす時だと、思います。
 良い意味での、因果応報も、絶対に、あるものですから。

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