ささやく寄生虫

 大学時代、ゼミの合宿でOさんという先輩から聞いた話です。

 O先輩は名古屋駅近くの居酒屋でバイトをしていました。
 数軒のバーや居酒屋が入ったテナントビルの、2階部分の店舗です。 そのテナントビルには、普段お客さんが入れない非常階段があり、関係者の通勤や休憩所に使われていました。
 バイト先の人たちのほとんどが非常階段で休憩を取っていたのですが、O先輩はふだんは階段に近寄らない様にしていました。
 というのも、O先輩にはあまり強くはないものの霊感があり、非常階段から変なものが見えていたらしいのです。
 変なもの、とは、非常階段から見下ろせる歩道に居る、黒く細長い、風にたなびく紐のような見た目をしているもので、幽霊と呼んでいいのかわからない、と先輩は言っていました。
 ゆらゆら揺れながら人に巻き付いたり、短くなったりして、しばらくすると誰かの首に巻き付き消えていくそうです。
 O先輩は何度か様子を見ているうちに、黒いヒモが通りに立つキャッチの首から出て来て、同じようにキャッチをしている他の人の首に巻き付くと、うなじのあたりに潜り込むように消えることに気がつきました。
(その通りではキャッチ行為が禁止されていたはずですが、キャッチはいっぱい立っていました)
 O先輩はその様子を、幼虫とかミミズが土に潜り込む感じ、と表現していました。
 ヒモは一本だけでなく、下にいるキャッチの数より明らかに多かったときもあり、規則性は全くの謎だといっていました。
 夜な夜な人の首から出て、また中に帰っていくそれらを見ていると、どうも寒気を感じて非常階段から足が遠のきます。
 しかし、日によっては厨房も更衣室等のバックスペースも使えない日があったそうで、そんな日は仕方なく階段の踊り場で、通りを見ないように休憩していました。

 あるとき、店内で休憩が取れず、仕方なく向かった非常階段でAさんと会いました。
 Aさんは階下にある店の従業員で、よくサボっているのか、見つからないようわざわざO先輩たちの階まで登ってきてはタバコを吸っているところを頻繁に見かけました。
 Aさんは少し怖い人で、自分より年下には当たりが強く、機嫌が悪いと嫌な無茶振りをすることもありました。
 運悪くその日もご機嫌ななめだったらしく 「最近階段にこなかったのは俺が嫌いだからだろう」 と、難癖を付けてO先輩に絡み始めました。
 面倒に感じたO先輩は、適当にいなして話を変えようとしましたが、Aさんの機嫌は悪くなるばかりで、O先輩を壁際に追い込むように肩をこづき始めました。
 これ以上は本当に暴力を振るわれてしまう、と怖くなったO先輩は、観念してAさんに例の黒いヒモのことを白状しました。
 もしかするともっと機嫌を損ねるかもしれない、というO先輩の不安をよそに、Aさんは思いのほか機嫌を良くして話に食いつきました。
 どうやら、心霊やオカルトの類に興味があったようで、ヒモについて詳しく話すように促します。
 話を聞き終わったAさんは、ニヤつきながら 「今から俺下に行ってヒモが出てるっつうキャッチに話しかけてくるからさ、お前スマホで録画しとけよ」 と要求してきました。
(ここで逆らったら後で面倒だろうな、自分がやらされるよりはマシか……)
 そう考えたO先輩は、大人しくその命令に従うことにしました。

 Aさんが意気揚々と階段をかけ降りると、すぐに下の歩道に現れました。
 そしてO先輩に対し手で録画しろ、と合図を送ると、さっさとキャッチの方へ向かいます。
 スマホ画面には通行人に声をかけるキャッチと、それに話しかけ初めるAさん。
 いくつか言葉を交わした後に、AさんがO先輩の方に指をさすのが見えました。
(うわ……まさかあの話してんのか?信じるわけないだろ勘弁してくれ……)
 O先輩は、キャッチが今にも怒り出すのではと予想して、思わず身構えました。
 ところが、画面の中の2人はこちらを向いて止まったまま、静止画になったように動きません。
 通行人が数人、怪訝そうに2人を見ては通り過ぎました。
 え、とスマホから顔を上げると、グロテスクな光景が目に飛び込んできました。
 キャッチの首から伸びたヒモが、Aさんの口に直接潜り込んでいたのです。
 黒い体を伸び縮みさせ、ゆっくりAさんの口へ消えていきます。
 ウネウネと蠕動してAさんの中に潜るたびに、Aさんの体が小刻みに震えます。
 よく見るとAさんは半分白目で、視線はあらぬ方向を剥いていました。
 そこまで確認したところで精神の限界がきて、O先輩は急いで店内に戻りました。
 もちろんバイトに戻れる状態ではなかったものの、かといってAさんが居るかもしれない外にも出られず、結局店が終わるまで待ち、バイト仲間の家に泊めてもらったそうです。
 そしてそのまま、O先輩はバイトを辞めました。
 店長も一度は引き止めたようですが、O先輩の異様な怖がり方を見て何かを察したのか、すんなりと辞めさせてくれました。

 数ヶ月経ち恐怖がおさまった頃、大学の最寄り駅で声をかけられました。 立っていたのはAさんでした。
 心臓が飛び出るかと思ったものの、なんとか平静を装って答えます。
 AさんはO先輩が1人逃げたことについては何も言わず、最近何してるの、とか、バイト辞めたの、などとにこやかに話をしています。
 横暴さなど微塵も感じず、むしろO先輩を気遣っているようでした。
 それだけではなく、服装もこれまでのAさんとは真反対の品のある装いで、シワもきちんと伸ばされています。
 あまりの違いに、恐る恐る訪ねました。
「あの、なんかAさん、雰囲気変わりました?」
 Aさんの顔からそれまでの笑顔が消えました。
「あの日からさあ、たまに頭の中で声がすんだよ」
「『お前は地獄に落ちる』『死ね』『地獄は針で串刺しにされる』『すり潰される』って」 「ずっと死んだ後どうなるとか、早く死ねとか、朝も昼も夜も」
「そんなん聞かされたらもう、もうさ……」
 そう言うとO先輩の腕を掴んで自分の方へ引き寄せます。
「お前、お前さ、何か知らない、何でもいいんだけどさ、見てたろ?知ってんだろ?なあ?」
 徐々に以前の荒々しい口調に戻り、掴んだ腕も、手が震えるほどギリギリと力が込められています。
 やばい、そう思った直後、Aさんはビクンっと体を大きく震わせたかと思うと、ゆっくり掴んだ腕を離しました。
 慌てて距離を取ると、再び優しい口調で 「ごめん、痛かったな、ごめん、こういうことしないって決めたんだった、うん、ごめんな」 と何度も謝るのです。
 そしてO先輩の返事も聞かず、ごめん、ごめん、ごめんと言いながら、踵を返して遠ざかっていきます。
 ボソボソ呟きながら、時折自分の頭を殴るAさんの周りは、そこだけ穴が空いたように人が居ません。

 それ以来O先輩はAさんに会っていません。
 バイトも辞めたらしいと、かつてのバイト仲間が教えてくれたそうです。
 O先輩は、あれから黒いヒモも見ていないし、もう見たくもない、と言って話を締めました。

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