豪州の田舎にて

 私がオーストラリアの田舎にて体験した話です。

 クイーンズランド州の南東の山間に位置する小さな田舎町で、当時私はいわゆるワーキングホリデービザを使って食肉工場で働いていた。
 日本と違い、都心より数百キロ離れた街となると24時間営業のコンビニなどもちろん無く街灯も少ない為、夜10時を過ぎれば辺りは静かな闇に包まれる。
 自然に囲まれるのが好きだった私は、休日になると近くの山へハイキングへ行き、海外生活のストレスや仕事の疲れを癒すのが日課になっていた。

 その日も休日で、私は住んでいる街から少し離れた山の山頂から日の出を見ようと、深夜に起きて山登りの準備をしているところで、 準備もそこそこに完了し出発までまだ時間が余っていたので、携帯で目的地の山について下調べをしているところに、日本に住む地元の友人から着信が入った。
 日本で飲み屋を経営している彼は、お店が暇になると夜中に電話を掛けてきては、日本は退屈だの、店に遊びに来た共通の友人だの、他愛の無い話をダラダラと続けてくるので、シェアハウス住まいだった私は、他の住人に迷惑が掛からないように電話の際は家の外で話すようにしていた。
 夏前の少し肌寒い真夜中、いつものように外に出ていつもと変わらぬ馬鹿話をしていると、ふと友人が 「なあ、さっきからお前の方から変な音聞こえるんだけど」 と言った。
 ヘッドホンを装着して通話していた私には、友人の声以外聞こえなかったので、ヘッドホンを外し辺りの音に耳を傾けてみる。
 車通りも全くない、山に囲まれた深夜の田舎町。
 虫の音が響く静寂の中に微かに “イィーッ、イィーッ”  と甲高い猿のような鳴き声が聞こえた。
「田舎だから野生の動物だよ」と気にすることもなく私は友人と話を続けていたのですが、しばらくすると再び友人が 「おい、さっきから少しずつ音大きくなってきてるけど大丈夫か?」 と。
 友人の少し不安混じりのその言葉を受け、私は周囲を見渡し何かがいないか確認した。
 家に面する道路、その数百メートル離れた先にポツンと立つ街灯の下に、私はソレが立っているのに気づいた。
 街灯に照らされるソレは二本足で直立していて遠目には人間のように見えるのだが、明らかに違和感を感じる。
 身長は異常に大きく、その巨大な体に反して頭は異常に小さく、一目でそれが人間の類では無いと私は気づいた。
 その異形とも呼べる姿に私は唖然とし、ヘッドホンを外し、友人と通話中だということも忘れソレ見つめていました。
“ヤァーウィーッ! ヤァーウィーッ!”
 異常に甲高く、形容しがたい猿にも似たような声で鳴くソレに反応するかのように、 周囲では他の家で飼われている犬達が狂ったように吠えているのも聞こえる。
 その今まで聞いたことの無い鳴き声にたまらない恐怖を感じ、私はソレから目を離さぬように後退りするように家に戻ろうとしました。
 ゆっくり、ゆっくりと家の方に向かって歩みを進めていく。
 街灯に照らされる巨大な影は動くこともなく鳴き続けているが、確実に私の存在に気づいている。
 自宅の入り口まで辿り着いた私は、玄関まで走ろうとソレから目を離し体を反らせた。
 すると、 ” ヤァーウィィィィィィ!!!!”
 辺りの山々に反響するほどの大きな声でソレが吠えた。
 真夜中の静けさをつん裂く咆哮に私は思わず振り返ってしまった。
 さっきまで街灯の下に直立していたソレは、両手を上げ、その巨大な体を左右に振りながら私の方に走ってきている。
 その異常な速さと、奇妙な動きに私は逃げることも出来ずその場で硬直してしまった。
 あと十数メートルというところまでソレが近づいてきたところで、自宅の入り口にある小さなライトに照らされるソレの顔がぼんやりですが確認できた。
 身長はゆうに2mを超えておりゴリラのような顔つきにむき出しの牙、ギョロっとした巨大な目は血走っているようにも見えた。
 恐怖に慄きながらも、情景反射からか私はポケットに入っていた携帯をソレ目掛けて投げつけた。
 その瞬間、先ほどとは違う犬に似たような声でキャンッと鳴いたソレは私の目の前を通り過ぎその先の林の中へと消えていった。
 私は一瞬呆然としましたがすぐに正気を取り戻し携帯を拾うことも忘れ、家の中に逃げ込みました。
 乱暴に家に入り込み慌てふためく私の物音が相当大きかったのか、同居人がゾロゾロと起きてきてしまった。
  深夜に起こされて不機嫌そうな顔をしていた彼らも私のただごとじゃない顔を見てか心配して事情を聞いてきた。
 私は先ほど起こったことを拙い英語で説明したのだが、皆口を揃えて「そんな声聞こえなかった」と言う。
 あっけらかんとしていると、ふと携帯を外に忘れたことを思い出し、同居人に頼み一緒に付いてきてもらった。
 外はいつものような静寂を取り戻し、さっきまで鳴いていた犬達の声も聞こえない。
 私は闇の中で光る携帯を見つけまだ通話中になっていることに気づき、家に戻るやいなや先ほどまで楽しく話をしていた友人も何か聞いているんじゃ無いかと電話口から必死に呼び込む。
「おお、やっと繋がった。急に何も喋らなくなったから心配したよ」
 半ばパニックの私とは対照に、彼はケロッとしていた。
 彼曰く、ソレの声が段々と近づいてきてるのに気づき、私にそれを伝えたあと急に電波が悪くなったのか、私の声はおろか何も聞こえなくなったそう。
 私は今さっき起こったことを彼にも説明したのですが、彼はただただ笑って 「カンガルーでも見たんじゃないの」とこっちの恐怖も知らずチャカすだけ。
 もはや山に行く気にもなれず、その日は自分の部屋に引きこもって震えていた。

 後にも先にもこれが私の唯一の恐怖体験です。
 私が見たソレは幽霊なのか、はたまた実際に存在する生き物なのか、 未だにその正体は謎に包まれているままです。

朗読: ゲーデルの不完全ラジオ

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