澱みに巣食う

 僕は小中学生の頃イジメを受けていて、中学に入っても不登校でいた。
 2年になると中学の相談室に通うようになるのだが、その相談室でひとつ年上の弘樹くんという男の子に出会った。
 僕たちは共通の趣味であるゲームと漫画を通して親交を深め、数日と経たないうちに無二の親友となった。
 ある日、「雄太、今日うちに来て一緒にゲームしないか?」と誘われ、今まで友達とゲームをするという経験がなかった僕は、浮かれ足で弘樹くんの家について行った。
 弘樹くんの家は二階建ての立派な屋敷で、手狭な団地住まいだった僕には素晴らしい豪邸に見えた。
 まずは弘樹くんが先に玄関に入り、「ただいま〜」と誰かに声をかけると、玄関の外で待機していた僕に「どうぞ」と入るよう促した。
「お邪魔しまーす……」と、挨拶して玄関に入ると、暗がりの中、むわっと臭気が漂ってきて、僕は一瞬足を止めて怯んだ。
 弘樹くんがおもむろに玄関の電気を付けたとき、思わず「わ…」と声が漏れ出てしまい、慌てて口元を押さえた。
 玄関から廊下から階段から……そこら中に、弁当ゴミ、ペットボトル、雑誌や新聞紙、段ボール、ゴミが詰まった袋などが散乱していたのだ。
 弘樹くんは、驚きの表情を浮かべる僕に、「散らかっててごめん」と言うと、「俺の部屋2階だから」と伝えてゴミに埋もれた階段を登っていってしまった。
(やばい、怒らせちゃったかな……)と、若干焦りながら、もう一度小さい声で「お邪魔します……」と誰とにもなく呟き、弘樹くんの後を追った。
 床がベトベトしていて、靴下に張り付く感覚がなんとも気持ち悪い。 弘樹くんの部屋までこんなだったらどうしよう……と、浮かれ気分でホイホイついてきてしまったことを激しく後悔しながら、階段を登る。
 その時ふと、誰かがひどく小さい声で何事かを言っている声が聞こえた気がして、立ち止まった。
 階段は一段一段の隙間から下が見えるような構造になっていて、なんとなしにその隙間に目をやってみる。 階段下はご多分に漏れずゴミで埋まっているのだが、そのゴミとゴミの間から、二つの目がこちらを覗いた。
「わぁあ!!」
 確かそんなような間抜けな声を上げて、僕は階段を駆け上った。 降りたらソイツに捕まってしまうような気がしたからだ。
 階段上の部屋から弘樹くんが顔を覗かせて「あ、出た?」と半笑いで聞いてくる。
「出た! ……え? 出たって……? 出たんだけど……」
 パニクって訳の分からない返答をしていると、弘樹くんはあははと笑い、「とりあえず部屋入れよ」と僕を部屋に招いた。
 僕の予想に反して、弘樹くんの部屋はこざっぱりとしており、普通の同年代の男の子の部屋だった。変な臭いもしない。 むしろしっかり整頓されていて綺麗だ。
 10畳くらいの大きめな部屋に、布団が3組、綺麗に畳んで置かれている。
「俺の部屋っていうか、兄弟3人で使ってる部屋だけど」と、弘樹くん。
 布団が3組あることへの合点がいったのと同時に、妙な違和感を感じた。
 だが、今はそれどころではない。
「ところでさっきのは……」と僕が問うと、弘樹くんは困ったような笑みを浮かべて、「この家、出るんだよね。アレが」と答えた。
 どうやら、ふとした時に家族の前に姿を現すらしい。
 階段下、廊下、居間、キッチン、風呂場、トイレ、両親の寝室。 至る所に姿を見せているのだと。
 この部屋にも出るのかな……嫌だ……帰りたい……と僕がそわそわしていると、それを察したのか、「この部屋は大丈夫だよ」と、テレビにプレステを繋ぎながら弘樹くんが言う。
「ゴミの隙間にいるから、隙間さえ見なきゃ平気」と、慣れた様子だ。
「片付けないの?」浮かんだ疑問がそのまま口をついて出てしまい、またやってしまった……と、弘樹くんの顔色を恐々と覗いた。
 弘樹くんはまた少し困ったような笑みを浮かべると「俺たち兄弟で家の片付けをすることはあるんだ。でも、片付いてもまた汚すんだよね」
(誰が?)
 当然ながらそんな疑問が浮かんだが、これ以上余計なことを言ったら、弘樹くんとの友情が壊れてしまう……そう思い、僕は口をつぐんだ。

 それから僕たちは、ゲームをしながらいろんな話をした。
 その日だけじゃなく、学校の帰りはいつも弘樹くんの家でゲームをすることが日課となっていった。
(もちろん、子供部屋に行くまでは毎回ダッシュだ)
 そこでわかったことをまとめると、弘樹くんは3人兄弟の末っ子で、高3と高1の兄がおり、兄弟仲はとても良いということ。
 両親はギャンブル、アルコール依存症で、パチ屋を渡り歩いたりするのに忙しく、日中は家にいないこと。いてもアルコール漬けで会話もままならないこと。
 身体障害がある父親と、80代の祖父母の年金で暮らしていること。
 祖父だけが兄弟を可愛がっており、ゲーム機や遊び道具なんかは祖父が買ってくれるということ。
 祖母は寝たきりのため、つきっきりで介護している祖父は祖父母部屋からあまり外に出てこないこと。
 家は50年ほど前からあり、改修や増改築を重ねて今の状態だということ。
 そして、核心をつく話を聞けたのはそれから半月ほど経ってからだった。
 ある日いつものように学校帰りに弘樹くんの家にいくと、いつものように弘樹くんが先に家にあがる。
 いつもと違ったのは、弘樹くんの「ただいま」の声に家の奥から「おかえり」と返ってきたことだ。
 僕は一瞬の恐怖で身を固くした。
 まさかアレが返事を……。そう思ったから。
 弘樹くんは、僕に外で待つようにと言い中に入ると、しばらくして戻ってきた。
「兄貴だったよ。上がって」
 周りを見ないように2階に上がり部屋に入ると、ガタイが良く茶髪の、ちょっとヤンチャそうな雰囲気がある男性がカップメンを啜っていた。
 挨拶すると、口をもぐもぐさせながら片手を上げて返してくれる。
 悪い人ではなさそうだ。 次兄の孝介くんだと紹介される。
 ガソリンスタンドのバイトが休みだそうで、学校が終わって直帰したとのこと。
 孝介くんも交えて3人でゲームを楽しんでいると、孝介くんが「そうだ」と切り出し、「そういやさっきババアが金せびりに来たぞ。金はねぇって答えたらさっさと出ていったけど」と続けた。
 それを聞いた弘樹くんは、疲れたような表情で「どうせまた負けたんだろ……」と吐き捨てた。
 いつもなら、パチンコ屋が閉店する頃にようやく帰宅する両親だが、負けが続いて飲み代がなくなると、祖父や兄弟たちにお金をせびりに日中こうして帰ってくるという。
  2人の話は、一般家庭でぬくぬくと育ってきた僕には、あまりにも現実離れした恐ろしい話であった。
 今で言うところの「毒親」というやつであろう。
 幼い頃には父親に虐待され、母親は見て見ぬふり。孝介くんへの暴力が一番酷く、孝介くんの鼻は少し曲がっており、腕には父親にされた根性焼きの跡が無数に残っていた。
 母親も、男を作っては自宅に連れ込み、子供たちがいるにも関わらず情事に及び、気まぐれでその様子を見せたりしていたのだとか。
 やがて父親が事故に遭い身体障害者になると、その障害者年金を使ってギャンブルとアルコールに明け暮れる日々。
 飲む金がなくなると、祖父母の年金や兄たちがバイトして稼いだお金を盗んでいく始末。
 世話や家事をしてくれていた祖母が大病を患い寝たきりになり、祖父と子供たちで介護をし、祖父は介護に時間を取られ、益々部屋から出なくなってしまった。
 家の中も、両親がゴミをため、それを他の家族が片付け、両親がゴミをため……の繰り返しなのだ……と。
 両親は、生活ゴミだけでなく、どこかから拾ってきたゴミも家の中にためていくという。
  僕はゴミの隙間からこちらを覗いてくる「アレ」を思い出して身震いした。
 そんな僕の様子を察してか、「アレ、見たんだってな」と孝介くん。
 口元はニヤリと笑っているが、目は真剣そのものだ。
 ちょうどその時、タイヤが庭の砂利を踏み締める音とエンジン音がした。
 弘樹くんは、「げ……帰ってきた……」と一言漏らすと、慌てて部屋から出て階下に向かい、ドタバタとまた部屋に戻ってくる。
 その手には僕の下足が握られていた。
「鍵閉めとけ」という孝介くんの言葉に、弘樹くんが、後付けであろう簡易鍵を二箇所閉めた。
 訳がわからず固まる僕を孝介くんが手招きで呼び寄せ、「見てみ」と言ってカーテンを少し開ける。
 窓からはちょうど車から降りてくる2人の両親が見えた。
「え……?」
 おかしい。 明らかに風貌は男女であり、男性の方は片脚がなく、松葉杖をついている。
 が、その2人には黒い蛇のような靄が全身を覆っていた。
 困惑して孝介くんを見ると、「あれが正体」と一言言い、まだ終わってないとばかりに顎をクイっとさせて見るように促してくる。
 車から降りた2人は、ハッチバック式の荷台を開けると、中からゴミがパンパンに入ったゴミ袋を3つ取り出した。
 思わず、「ぇえ……まさか……」と声が漏れる。
 玄関は死角になっているので見えなかったが、階下からドサドサッという音が聞こえたので、あのゴミ袋を家の中に持ち込んだことは容易に想像できた。
 カーテンを閉めてしばらく放心状態でいたが、なんとか絞り出して「あの黒いもや、何……?」と聞く。
 孝介くんが眉をしかめて「俺にもわからん。けど、アイツらがゴミをためるようになってから家の中で変なことが急に増えたんだよ」と答えた。
 どうやら、黒い靄は兄弟の中で唯一孝介くんがしっかり見えるらしく、長兄の洋平さんはうっすらと見え、弘樹くんは全く見えないのだそう。
 孝介くんが、「ちなみに、俺には黒い腕が何本もあいつらに絡まってるように見える」と言うから、僕はますます怖くなって身を縮めた。
 そうして3人で色々と話し合っていると、乱暴に階段を登ってくる足音に気が付き、声をひそめる。
 何やらドアの向こうでぶつぶつと呟く声が聞こえて、瞬間、ドアノブをガチャガチャとしだした。
 ヒッ……と声を上げてしまいそうになるも、口元を抑えて耐える。
「……チッ」という大きな舌打ちの後、ドン!とドアを蹴ったような振動と音がして、また乱暴に階段を降りていった。
「……前に兄貴たちが家を出る為に貯めてた金、根こそぎ盗まれたことがあってさ。それ以降、鍵を閉めてるんだ」と、弘樹くんが悔しそうに呟く。
 弘樹くんが部屋の入り口の南京錠を外してから入るのを見て不思議だったのだが、ああ、それで…と合点がいった。
「ヒロの高校卒業と同時に、じーさんばーさん連れて皆んなで家出るつもりなんよ。一回リセットされちまったけど、その後がむしゃらにバイトしまくって結構貯まったんだ。もう二度と盗ませねぇ」
 孝介くんは怒りと決意に満ちた眼差しを僕に向けた。
 それから僕は、窓から兄弟が出入りする為に作ったと言う手作りの梯子を下ろしてもらい、そっと弘樹くんの家を出た。
 外はすっかり夜の帳が降りている。 2階の窓から手を振る2人に応えてからハッとした。
 両親がいるはずの1階には明かりが灯っておらず、中の締め切られたカーテンがふわりと動いた。
(あ…)
 自然と僕の視線は窓に行ってしまう。
 カーテンの隙間から覗く、真っ暗な室内、真っ暗な空間……。
 そこに、白い玉が4個……浮いていた。 それぞれがバラバラに、不規則に間隔を開けて浮いている。
 それが目玉だと理解するまでに時間がかかった。
 黒目はギョロギョロと動き、僕を見ているようで見ていない。
 所在なく動き回るそのうちの一つが、ピタ……と突然動きを止めた。
「ゆ う た!!!!!」
 突然名前を呼ばれ、体がビクリ!と跳ね上がった。 僕はいつの間にか隙間に見入っていたようだ。
「走れ!!!」
 2階から孝介くんが身を乗り出して叫んでいる。
 孝介くんの怒号に体を突き動かされ、全速力でその場を離れた。

 その後も僕と弘樹くん、それから2人の兄たちとの親交を深めていったが、夜になる前には必ず帰るようにし、弘樹くんの家ではなく、僕の家に来てもらったり公園で駄弁ったりすることのほうが増えた。
 そして、何度目かの春が来て弘樹くんが高校を卒業すると、本当に3人は県外に引っ越していった。
  残念なことに、祖母は弘樹くんの卒業を待たずに他界。
 祖父は「迷惑をかけられないから……」と言って、家に残ったそうだ。
 僕らはその後も連絡を取り合い、今では皆同じ都内在住。 結婚して家庭を持ったり、会社経営で忙しくしたり……変わったことはたくさんあるが、友情に翳りはない。
 祖父他界後、3人は完全に親との関わりを絶ったとのことで、あの家がどうなったのかは誰も知らない。
 あの両親は今でもゴミを溜め込んでいるのだろうか。

朗読: ゲーデルの不完全ラジオ

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