私にも色々と青春時代の思い出があって、その中でも特に忘れられない出来事が、バスの痴漢男をボコった話である。
私は、高校生になって初めてバス通学を体験した。
市バスは、真ん中の扉から乗車し、前方の扉から降車する。
七時半のバスは、毎朝大変混んでいた。
おまけに途中で高校行きのバスへと乗り換えなければいけないので、無理して前進して、駅に着く二つ前のバス停で降りなければならなかった。
そんな時、私にも何度となくピンチがおとずれた。身体の一部を触られているような気がするのである。
たまたま触れたという感触ではなかった。明らかに故意に触られた感触だった。
これが痴漢男とのバトルの始まりだった。
私の友人が、次のバス停から同じバスに乗ってくるので、毎朝合流して、楽しく会話しながら、通学していた。
そんな時、その友人も痴漢に遭い、とても憤慨していた。
しかし、私達はまだ高校一年生で、色々なことに慣れていなかった。
精神的には、まだまだ幼かったと思う。
だから痴漢に遭って、ドキドキと心臓が高鳴り、されるがままでどうすることも出来ず、恐怖心の方が上回っていた。
声を上げるとか、助けを求めるなどは、とても出来なかった。
そして私達は、時間はかかったが、ある一人の男を痴漢男として特定した。
痴漢男は、まだ若く二十歳(はたち)位に見えた。
身なりは、ジーパンにラフなシャツといった感じだったので、サラリーマンではなかったと思う。
いつもバスの中の真ん中辺りの一番混み合う場所に陣取り、ニタニタしながら、女性を物色しているのが分かった。
機は熟した。 ある学校の帰り道、私と友人は、町で少し買い物をして、市役所前の始発のバス停からバスに乗り込んだ。
夕方の暗くなりかけの時間、バスの中には灯りがついて、私達は、一番後ろの座席に座った。
この席は、座席が少し高くなっていたので、バスの中の全体が見渡せた。
すると、なんとあの痴漢男が乗ってきて、中間の椅子に腰掛けたのが見えた。腰掛けたのなら、問題は無い。
ところがである。バスが駅前に着くとくだんの痴漢男は立ち上がり、沢山の乗客の中心部分にわざと紛れ込んでいった。
私と友人は、そのあさましさに呆気にとられた。
そして、一人の女性に密着しているのが見えて、私は、沸々と怒りが込み上げてきた。友人も同じだった。
夕方の帰宅ラッシュのバスは、大変混んでいて、最後部にいた私達が、荷物を持って前進するには、相当の困難を極めたが、私達は痴漢男目掛けて突き進んだ。
そして、まず友人が、自分の学生カバンでやつの背中に殴りかかった。
私も同時にローファーの先で蹴り込み、グーの手で横腹に思い切りパンチをお見舞いした。 もう夢中だった。
その時である。 なんと周りにいた女性数人が、同じようにカバンなどでやつに襲いかかった。
痴漢男は、全方位からの攻撃に耐え切れず、うずくまった。
更にやつの頭目掛け、カバンやら足やらが襲う。
何度も何度も、何発も何発も、ひたすらに叩き続けた。 全員無言だった。
私達を取り囲む周りの人達も無言だった。
女性も男性も誰もがその状況を認識した上で沈黙を保ってくれていたかのように思われた。
バスが、次のバス停で停車すると、痴漢男はヨタヨタとなりながら、急いで降りていった。
それ以降、痴漢男を見なくなり、私も自転車通学に切り替えたので、いつしか私の記憶からも、痴漢男は、フェードアウトしていった。
そうして私は大学生となり、再び、バスを利用することとなった。
私の通う大学は、大きく言うと、駅を挟んで対照の位置にあり、駅前で乗り換えて通学していた。
ある日のこと、その日の授業のタイムテーブルにより、私は、昼近くのバスに乗って、大学へ向かっていた。
駅からは三十分位かかるので、私は、一番後ろの座席の窓側に陣取り、早々と眠りに落ちた。
ふと目が覚めて、横の気配が気になり、何気ない振りをして観察すると、私の左側側面に小学生低学年くらいの女の子が座っていて、なぜか私の腕や膝の辺りにピッタリと引っ付いてきた。
そして、身体を縦にグニャグニャと動かしていたのだ。
(これは何の現象なのか) と思って、慌ててそちらに顔を向けると、私にも、一瞬で状況が理解できた。
私の横に座る小学生の女の子のさらに隣に、なんと若い男が座っていて、その手が女の子の身体に伸びてきていた。
(許せない)
私は、立ち上がり、前抱っこしていたカバンをそいつの顔目掛けて、振り回した。
相手がひるんだ隙に靴で脚をはらい、女の子を出して自分も逃げ出した。
幸い女の子の母親がすぐ近くにいたので、途中からは、母親も気が付いて、協力してくれた。
そして、バスの運転手にも事情を説明して、私は、バスを降りた。
忘れもしない、あの痴漢男だった。
大人の女性で痛い思いをしたので、対象を子供に変え、更にバス路線も変えたのだろうかと思われた。
もっと殴っておけば良かったと今でも思っている、遠い過去の思い出話である。