おひとりさま

 今から10年ほど前、私が大学4年生の時の話です。


 私は4月からの就職先も決まり、単位も取り終わった私は大学生活最後の春休みを謳歌しておりました。
 地方から関西の大学へ進学していた私は、同じく関西方面に進学した高校の友人たちと、その日は同級生のアパートで飲み会をしていました。
 朝方まで飲み明かし目が覚めたのは昼の14時ごろ、15時くらいにそろそろ帰るかとなり友人の1人とアパートを出ました。
 友人が「腹減ったな。何か食べて帰ろうぜ」と言ったので最寄駅の近くにあるお好み焼き屋に行くことにしました。
 平日の15時ごろということもあり、店内の客は私たち以外に女性が1人いるだけでした。
 紫のダウンジャケットを着た30代後半から40代前半くらいの女性で、当時「おひとりさま」なんて言葉もなく、女性が1人だけでお好み焼きは珍しいなと思っていると、友人も同様だったようで「誰か待ってるのかな?」と言いました。  
 まあそんなこともあるだろう、ということで私たちはさして気にせずにメニューを見ていました。
 注文が終えてお好み焼きがくるのを待っていると、どうも女性の様子がおかしいことに気付きました。
 店内をウロウロし始め、一度席に着いたと思ったら店外に出て行きました。 友人と食い逃げか?と話していたのですが、慌てた様子もなかったし恐らく従業員でシフト上がって賄いを食べてたんだろうと結論づけました。


 女性が出て行った5分後くらいに厨房から店長と思われる男性が私たちの席に来て声を掛けてきました。
「さっき出てった女の人、ちょっと変なんで警察呼びました。騒がしくなるかもしれないです。すみません」と、私たちにお詫びをしてきました。
 私たちはどうしたのかなど事情は特に聞かずに分かりましたと伝え、友人とこれは気になるということで女性が戻るまで待つ事にしました。
 店長さんが席に来て話をしてから15分後くらいに女性が戻ってきました。 先に警察が外で待機していたようで、警察官に両側を挟まれるような形で、私たちの席の横を通り元の席に座りました。
 その時印象に残ったのが、女性はすごく具合が悪そうに背中を丸め、両腕でお腹を抱えるような感じで抑えながら歩いていたことでした。 警察官は3人いて、女性を窓際の席の奥に座らせ、女性の隣と正面に1人ずつ座り、テーブルの脇に1人が立っている配置でした。
 最初は世間話みたいな感じで女性と話をし始め、警察官が「お金なかったから下ろしに行くって出て行ったって通報受けたんだけど、ちゃんとお金下ろせました?」と言っているのが聞こえたので、ここで警察が来た理由が分かり、3人も警察官来るのは何だか仰々しいなぁと思いながら見ていました。
 その直後です。
 警察官の1人が「あかん!あかん!やめなさい!やめなさい!」と大声を上げました。
 私と友人もビックリしながら女性と警察官がいる席に目を向けると、女性が血のついた包丁を振り上げながら「はあ、はあ」と息を荒げていました。
 目の前の光景に動転しながら私たちは目が離せませんでした。
 警察官が隙を見て女性の手を掴み、女性はあっという間に床に組み伏せられました。
 警察官が「救急車呼んで!」と叫び、警察官の誰かが刺されたのかと思ったのですが、女性が自分の腹部を刺していたようで、組み伏せられた後は両手両足を警察官2人に押さえられ、もう1人の警察官が止血をしていました。
 救急車が来るまでの間、女性はずっと意識があったようですが一言も喋らず天井を見つめていました。

 女性は救急車に乗せられ搬送、警察官も退出し私たちは事情聴取のようなこともなく普通に帰ることとなりました。
 お会計をしていると店長さんから「こんなことになっちゃってごめんなさいね。
 あの人ね、君たちが来る前から店内をうろついて何か変だったんだよ。
 君たちが来てから『包丁を貸してほしい、自分で切って食べたい』って言ってきて、もう食べ終わってるじゃないですかって言ったら『注文するから貸してほしい』って言うんだよ。
 貸せないと断ったら『お金がないから下ろしに行かせてくれ、カバンと携帯置いていくから』って言うからとりあえず行かせてその間に警察に連絡しようと思ったんだ。呼んでおいてよかった」と店長さんは言いました。


 私と友人は帰りの電車の中で先ほどの出来事を話しながら、店長さんが警察を呼んでいなかったら私たちも刺されていたかもしれないと私が言うと 背中を丸めながらお腹を抱えて私たちの席の隣を通り過ぎて行った女性、あれは具合が悪いのではなく服の下に剥き出しの包丁を忍ばせ、抑えながら歩いていたんだと後から気付きゾッとしました。
 結局あの女性が何故こんなことをしたのかは分かりません。

朗読: ゲーデルの不完全ラジオ
朗読: 読書人流水

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

閉じる