夫が某高級ブランド店の警備をしたときの話です。
夜間警備の時は店側の配慮で、休憩は階上のVIPルームを使わせてもらっていました。
そのVIPルームは入り口が別のところにあるため、一般客の目には留まらずに入ることができます。
特別なお客様や、芸能人などが買いに来るときに使われる部屋です。
余談ですが、昔あるアーティストが女性とVIPルームで指輪を購入したことがあり、夫は週刊誌よりも早く婚約を知ることとなりました。
半年後、テレビで入籍発表しているのを見て、結婚のニュースよりも店員さんや夫の口の堅さに私は驚いたものです。
高級感漂う部屋ですが、そこは店員も、警備の同僚たちも「出る」と噂していました。
夫も、朝出勤して店内を確認すると、VIPルームに人の気配を感じたり、姿見に女性が通り過ぎるのを目撃しています。
もともと霊感のある夫は、普段から幽霊と生きている人の区別がつかないほどなのですが、怖いことには変わりないので、はっきり見えても幽霊だとは思わないようにしています。
夜間警備も手当てがつくから、と嫌がらずに受けていました。
その日も夜勤を終えた夫が朝の10時過ぎに帰ってきました。
当時小学一年生だった娘はとっくに学校に行っています。
私が朝食を用意していると、夫が「出たよー」と、昨夜の体験を話してくれました。
休憩時間になり、VIPルームのソファーに横になって仮眠をとっていると、人の気配に目を覚ましました。
横になっている目の前はテーブルが視界をふさいでおり、上は見えません。
そのテーブルの向こうに、女性の足が横向きに立っているのが見えました。
黒いパンプスにちらりと白いスカートが見えます。
ヒールではなくパンプスなので、店員が戻ってきたのかとも思いましたが、施錠はしているし、人が入ってきた気配もないし、ああ、これは幽霊なんだと確信したそうです。
見えているのは足だけでしたが、その女性が白いワンピースに長い髪、手に青い宝石のついた指輪をしていたのがリアルに頭に浮かんだそうです。
横向きの足が、ゆっくりと自分の方へ向きかけたところで、夫は慌てて気が付かないふりをしてそのまま寝たそうです。
起きた時にはもう女性の姿はありませんでした。
話を聞いていた私は食事の用意をしながらでしたので、あまり気に留めませんでした。
そしてそれきり忘れてしまい、その晩はいつも通りに寝ました。
深夜になって、寝ぼけた娘が勢いよく私たちの布団に飛び込んできました。
普段なら夫がすぐに起きて娘を布団に戻すのですが、その晩の夫は起きる様子もありませんでした。
翌日、夫は娘が起きる前に出勤していきましたが、その後私は二人から別々の場所で昨夜の出来事を聞かされました。
まず夫の話です。
夜、顔に誰かが覆いかぶさるようにして髪が顔にふれるのを感じました。
長い髪が反動と重さで、ずりん、ずりん、と振り子のようにこするのです。
私も娘もショートヘアです。
その気配から、あのVIPルームの女性だと直感し、寝たふりを決め込んでいると、肩を叩かれました。
何かを訴えたいのか、無理やり起こそうとしているようでした。
夫は逃げたくても体が自由に動かず、また、開きそうになる目を必死に閉じるしかありませんでした。
肩を叩いていた手が頬をさわってきます。
それでも目をつぶっていると、その手がぐりぐりっと、口の中に入ってきました。
そこへ、娘が布団に飛び込んできて気配が消えたそうです。
安心と恐怖からそのまま寝てしまったそうです。
次に娘の話です。
夜、トイレに起きて台所の前を通ると、冷蔵庫付近に白いワンピースを着た女性が立っていたんだそうです。
女性は後ろ向きで顔は長い髪に隠れていましたが、土足で家の中に立っているので幽霊だと思ったそうです。
「白いふんわりしたワンピースを着ていて、サファイヤの指輪をしていた」 と言っていました。
とても怖くて、トイレに行くのも我慢して、私たちの布団に潜り込んで震えているうちに娘も寝てしまったそうです。
夫がVIPルームでの体験を語った時は娘は学校に行っています。
それきり私も夫もその話をしてはいません。
「あー連れてきちゃったんだ」と私と夫はつぶやきました。
娘が言うには、どこかに帰りたがっているようだった。とのことでした。
「高級ブランド店の、しかもVIPルームからこんな安アパートに来ちゃったんだもんねえ。かわいそうにねえ」 と、夫が出勤するのを見計らってから、私は玄関に塩を置きました。
夫がちゃんとVIPルームに連れ帰ってくれたのかどうかはわかりませんが、それきりその女性の姿は見かけませんでした。
以来、夫はVIPルームに入るときは必ず挨拶をしてから入ることにしたそうです。
小一の娘ですら知っている、サファイアという宝石も知らない朴念仁によくついてきたものです。
二人の話を聞いた私はふと、女性の姿が頭に浮かびました。
その女性は黒のヒールのないパンプスをはいて、マタニティドレスを着ている女性でした。