これは今から20年ほど前、私が4歳から7歳まで住んでいた家の話です。

 その家は静かな田舎にあり、瓦屋根に立派な門構えの日本家屋でした。
 元々家の持ち主が店を営んでいた物件らしく、やたら広い庭とキッチン、 1階、2階はそれぞれ20畳ほどの部屋を襖で仕切れるようになっていました。
 今考えれば住むには広すぎる物件ですが、当時の私には家の中で走り回ったり、 三輪車をこげるほどの大きな家は遊ぶに困らず、とても気に入っていました。
 ただ、この家は度々おかしなことが起こる家で、何度も怖いことを体験しました。
 この話はその中でも特に怖くて印象に残った出来事です。

 その日、私はいつものように夕飯を食べたあと、2階の部屋で布団を横並びにして家族で寝ていました。
 2階は階段を上がると正面に廊下、向かって右側がすりガラスの窓、左側に部屋があり、それぞれ奥まで続いています。
 部屋は襖で閉められており、廊下の1番奥はトイレが1つあります。
 私は夜中にトイレに行きたくなって目を覚ましました。
 すると、階段からトン、トンと誰かが上がってくる足音が聞こえます。
 家族は皆寝ていて、下には誰もいないはずです。
 私は音をたてないように襖まで近づき、静かに開けました。
 廊下に顔を出した私は、右側の階段を見ました。
 この家の階段は下から見上げると向かって左側にゆるくカーブしており、 カーブした先の階段は壁で見えない造りです。
 当然、上から階段を見ると向かって右側にカーブしているので下は半分以上 見えないようになっています。
 外には街灯があり、明かりがすりガラスから廊下を照らしていました。
 本来なら階段の上がり口と階段がしっかり見えるはずが、その日はなぜか階段が全く見えません。
 まるで階段の上がり口に上から暗幕を垂らしたみたいに真っ暗で、私は目を凝らしました。
 その時、その上がり口の廊下にぬっと大きな何かが2本、音もなく現れました。 それは犬の足のようでした。
 長く黒っぽい毛に覆われた犬の前足、多分大型犬よりもかなり大きい足が2本、並べるように階段の上がり口にこちらに爪先を向けるように並んでおり、私はしゃがみこんだまま固まってしまいました。
 なにかいる。
 私は無意識に上を見上げました。
 すると、本来なら犬の頭があろう所よりかなり上に、ぬぅ~っと人間の顔がでてきました。
 体は全く見えないので、私には暗幕の真ん中から人間の顔だけが現れたように見えました。
 それは、若い青年に見えました。
 多分大学生くらいの整った顔立ちの男性で、雰囲気的には俳優の本郷奏多さんみたいな感じです。
 ただ、人間とは思えないほど無表情で、その顔を見たとき全身が総毛立つのがはっきり分かりました。
 恐怖で動けず、声どころか息も出来ずに目を見開いてその顔を凝視した瞬間、 焦点の全く合わないその目がキョロッとこちらを向きました。
 私が覚えているのはここまでです。
 背中を叩かれてはっと目を覚ますと朝でした。
 私は廊下に上半身を出したままうつ伏せで気絶したようで、 起きた母になぜこんな所で寝ているのかと怒られました。
 私はとてもお喋りだったのでいつもなら母に真っ先に伝えたと思うんですが、 その時はなぜか「言っても絶対信じてもらえない」と思い、トイレに行こうとして寝ぼけたと言って誤魔化しました。
 それ以降は「それ」を見ることもなく過ごし、私は7歳の夏に遠い土地へ引っ越しました。
 そしてその後もこの話は誰にすることもなく私は大人になり、すっかり忘れていました。

 あの家の真相を知ったのは、去年結婚した私が夫と暮らす家の購入を考えていると母に相談したときでした。
 話の流れで私が「昔住んでいたあの一軒家、広くて良い家だったけど怖い体験もしたからよく覚えているよ」 と何気なく話したとき、「怖い体験て何?」と母が食いぎみに聞くので、怖い夢を見たり、 今考えるとよく分からないことがあったと伝えると黙ってしまいました。
 気になって問い詰めると「まぁ、もう大人だしね」と言って当時のことを教えてくれました。
 当時あの家に引っ越してから、母は度重なる謎の現象に頭を抱えていたそうです。
 主に2階で人の話し声を聞いたり、気配がしたり、極めつけは2階のトイレの窓に取り付けられた網戸が引き裂かれ、 下に落ちるという現象でした。
 1度ならともかく網戸を変える度に起こり、しかもトイレの下は裏の勝手口になっているので、 ゴミを出そうとした母に当たりそうになったこともあるようで、身の危険を感じたと言っていました。
 母が事故物件でもないのになぜ、と思っていると、隣家の空き家の解体が行われた時に理由が判明したそうです。
 私は記憶にないのですが、家の右隣、2階のすりガラスの向こうには古い空き家があったようです。
 その家の関係者が母に工事の件で挨拶に来た翌日、工事をしていた作業員たちの悲鳴を聞いた母は玄関から顔を出しました。
 すると、防塵壁の向こうから「骨壺だ! 骨壺がある!」という作業員の声と、「こんな話は聞いてないぞ!」というような怒った声が聞こえたそうで、母はなんとなく察したと言っていました。
 その後無事に隣家は更地となり、それと同時に網戸は下に落ちることはなくなったそうです。
 ですが私は嫌な予感がして、母にその骨壺のことを聞きました。
 工事が終わった後、家の関係者がまた挨拶に来たそうで、母はそのときにやんわりと聞いたそうです。
 その関係者が言うには、とある事情で一族と絶縁状態となった遠い親戚が住んでいたそうですが 詳しいことは分からないとのこと。
 ただ、家の私物などから最後に住んでいたのは両親と息子のようだ、 と言っていたそうです。
 犬は飼っていなかった? と咄嗟に聞きましたが母は知らないとのことでした。
 あの日、私が見た「あれ」がその息子だったのか、「あれ」が何を思って現れたのかは分かりません。
 ただ、その後もトイレの網戸は裂かれ、それが刃物というより、動物の爪に引っ掛かれたような傷であったことに疑問を持った母が、知り合いの拝み屋さんに家を見てもらったところ、あの2階のトイレが水回りに縁起の悪い北向きに造られており、 隣家の件が無くてもあの家は2階のトイレが原因で廊下から階段にかけて霊道となっている、と教えてもらったので即引っ越しを決意した、と苦笑いで教えてくれました。
 隣家から骨壺が出てきただけでなく、そもそもあの家自体に問題があったなんて。
 もっと早く教えてくれよと私が思ったのは言うまでもありません。
 その家は北関東の田舎に20年以上経った今も変わらず建っており、現在も人が住んでいるようです。

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