曰くの指輪

 知り合いのMさんから聞いた話である。

 Mさんがとある小さな町に旅行した時、商店街の中にひっそりとあったアンティークショップで、古い指輪を購入したそうだ。
 素材は恐らく純銀で、純度は高そうではないものの磨かれているらしく、新品同様の輝きがあった。
 表に装飾はなく、裏には何かの刻印がされていた痕跡が見て取れるのだが、掠れていて何が刻まれているのかはわからない。
 見た目は綺麗だし、余計な装飾がないのもMさんの好みであり、値段も割とお手軽だったので購入したそうだ。
 だが、彼女が一番惹かれた理由が、実に奇妙だった。
 指輪について店員に聞いている時、奥からもう一人店員が現れて、その指輪を買い取った時のことを話してくれたという。
 ある土砂降りの雨の日、やつれた様子のずぶ濡れの壮年の男性がやってきて、タダでいいから指輪を引き取ってくれと頼んできた。
 店の決まりなので査定はさせて貰わなければならないと伝えると、「何でもいいから早く引き取ってほしい」の一点張り。
 男性は査定を待つ間、買い取りを担当した店員に愚痴をこぼすように「死んだ人間が会いに来る」とずっと言っていたらしい。
 買取額が決定すると、引ったくるように現金を掴み、傘もささずに走って去っていった。
 その後、その店内では様々なことが起こったのだという。
 買い取りを担当した店員が売り物になるように指輪の研磨作業をしていると、閉店後の店内で居ないはずの誰かの影を見たり、倉庫内にいるはずのない人物が立っているのを見たり、挙句の果てには、昔死んだ祖父母が買い物に来たのを接客した、などという話すらあった。
 眉唾な話だったが、昔から曰くのあるオカルト的な話が嫌いではなかったMさんは、その話を聞いて購入を決断した。
 もしかしてこの指輪をつけていれば、幽霊の一人や二人見えるようになって、霊感が身につくかも、などという淡い期待を抱いて。

「結果から言うと、指輪は本物だったんです」
 Mさんはそう言って、左手人差し指を軽くさすった。
 指輪を購入して数日経つと、曰くの話などとっくに忘れ、単におしゃれをするために指輪をつけて過ごしていたMさんだったが、ある日、祖父母の法事のために実家に帰ったときのこと。
 床につき、夢現で眠りかけた時に、視線の先、和室の襖が数センチ開いているのに気がついた。
 閉め忘れてしまっただろうかと上体を起こそうとすると、奥の仏間で何かが動いたような気がした。
 豆電球の薄暗い明かりの中、暗闇の隙間に見えるさらに真っ黒な何か。
 今日は法事だったし、家族の誰かが仏間に居るのだろうか、そう思ったMさんはもう一度目を閉じようとした。
「お……え……」
 閉じようとしてやはり、Mさんはまた瞼を開けた。今度はハッキリと目を覚ました。
 仏間にいる誰かが、何か喋っていたのを微かに聞いた。
 何と喋っているのかはわからないが、日本語で人の話し声なのは理解できる。
 やはり家族の誰かが法事の後の片付けか何かをしており、作業しつつ独り言を呟いているのだろう。
 それにしたってこんな夜にやらなくてもいいのに、とMさんが寝返りをうち、ふすまとは反対方向を向いた時、今度はさっきよりも大きく声がした。
「おか……えり……」
 何者かは、さっきよりも大きくそう言って、今度はMさんの名前を呟いた。しかし、その声は家族の誰でもなく、Mさんが知っている誰の声でもなかった。
 男か女か分からない、高音と低音が交互に入り混じったような音で、発音のイントネーションもバラバラ。
 日本語を知らない外国人が、見様見真似で発音を似せようと頑張っているような印象だったが、それよりも歪で機械的な感じがした。
 まるで、録音された誰かの声を切り取ってツギハギし、繋げたような──。
 背後で衣擦れの音とともに、襖を開け放つ気配がした。畳を擦って誰かが歩いてくる音が近づき、Mさんは寒気を覚えた。
「たすけて」
 最後に聞こえた声が、そう言っていたのだと気付き、飛び起きたMさんを迎えたのは、眩しい朝日だった。
 いつの間にか眠っていたらしく、上体を起こして背後の襖を見ると、襖は完全に開ききっていた。
 隣の仏間の仏壇に飾られている祖父母の遺影が、心做しか違って見えた。

「その日、リサイクルショップで売っちゃいました。指輪」
 Mさんはそう言って、話を始める前の笑顔に戻った。
 あの日見たあれは確かに幽霊だったのだろうが、まさか本当に見えるとは思わず、恐ろしくなってすぐに売ったそうだ。
 二束三文にしかならず損はしたが、あれをまた見てしまうよりはマシだという。
 後になって思い返すと、眠りに落ちる寸前、Mさんはそれの姿を確かに見ていた。
 人間が真っ直ぐ立つ姿勢ではなく、腰が変な方向に曲がり、斜めにお辞儀をしているような形で、しかし首はまっすぐにこちらを向いている。
 腕や足はいびつな方向に曲がり、それでも無理に立ち姿を維持しようとして足が震えていた。
 それが、まっすぐこちらを見据えて、笑顔のまま動かない口で、「おかえり」とMさんの名を呼んでいた。
 顔や髪の毛は祖母のものだったが、着ている服はかつての祖父のものだったと記憶しているという。
「それ以来、祖父母の顔がはっきり思い出せないんです」
 それどころか、祖父母との思い出が日に日に無くなっていくのだと、Mさんは悲しそうに言った。
 今もまだ、その指輪はどこかで誰かの手に渡っているのかもしれない。だとしたら、もう二度と見ないよう、遠く遠くに離れてほしい。
 最後にMさんは強くそう言って話を終えた。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

閉じる