小学生の息子を持つ主婦のRさんから聞いた話である。
学校から帰ってきた息子さんが、変な人に行きあったと話をしてきた。
曰く、知らない人が突然話しかけてきて、「◯◯さんの家はどこですか」と尋ねてきたらしい。
息子さんは◯◯という人を知らなかったし、尋ねられた家の場所も分からなかった。
それに、白目を剥きながら変な格好になり、明後日の方向を向いたまま虚空を見つめるその佇まいがとても恐ろしくて、さっさと「知りません」と答え、足早に立ち去ろうとした。
するとその人物はしばらく固まったままでいると、急にくるりと方向を変え、フラフラと角を曲がってどこかに行ってしまった。
Rさんはその息子さんの話を聞き、どうにも既視感のある話だと記憶を巡らせた。 そして、Rさんが子どもの頃にも、同じような事があったと思い出したという。
Rさんが初めてその話を聞いたのは、確か小学校の高学年ごろの事だった。 最近この街にある噂が流れているのだと友達との話で聞いた。
聞けばそれは、よく怪談本などで読む都市伝説のような内容で、一人で下校していると、ある人物に声を掛けられるのだそうだ。
内容は決まって、「何かを尋ねられる」というものなのだが、その聞かれる内容も、聞いてくる人物が誰で、どの場所で、いつ聞かれるのかも、完全にバラバラなのだそうだ。
ただ決まっている共通の事もあって、その聞かれる内容が必ず質問の形式になっていること、その人物が必ず白目を剥いていて、あらぬ方向を見ているということは決まっているらしい。
そして、絶対に破ってはいけない、禁忌というのももあった。
「何を尋ねられても、知らないフリをしなければならない」
誰かの家を尋ねられたら、知っていたとしても場所を教えてはならない。どこかへ向かう道や方向はもちろんのこと、応答して喋る事すら許されないのだそうだ。
答えて良いのはたった一言、「知りません」だけだという。
禁忌を破ったものがどうなるのか、「知りません」以外の答えを言ってしまうとどうなるのか。噂では、それ以上の事は語られていなかった。
学校の子供達の間ではその噂がかなり広く知れ渡っているし、実際に遭遇したとかいう話もあったのだが、しかしそのどれもが「友達の友達から聞いた」などという、信憑性の薄いものだった。
だからRさんもはじめは信じていなかったそうで、実際その後も、その「尋ねる人」の 噂は尾ひれがどんどんついていき、しまいには正体は誘拐犯だとか麻薬中毒者だとかにな り、不審者警戒情報として連絡網が回るほどだった。
だがしょせんそれも小学生に広まる噂話、そのうち噂の熱も他の話題によって燃え尽きるだろうと思っていたRさんだったが、下校途中に家の方向が違う友人と別れて一人で歩いていた時、それは唐突に現れた。
「おたずねします、おたずねします」
背後から声を掛けられ、驚いたRさんが振り向くと、知らないおばさんが急角度 首をひねった奇妙な格好で佇んでいた。
その奇妙さに面食らっていたが、その人の目が白目を剥いているのに気がついた瞬間、背筋が粟立った。
「尋ねる人」だ。
あんなのただの噂だと思っていたのに。
その噂の元凶に遭遇してしまったという衝撃で、Rさんは思わずその場で立ちすくんでしまった。
「◯◯さんの家はどの方向にありますか」
おばさんは、至って普通の声色でそうRさんに尋ねてきた。
そこは知っている家だったのでつい口が滑りそうになったが、危うく禁忌のことを思い出して必死に口を結んだ。なんとか喋りだすのを堪え、絞り出したように小さな声で「知らない」と呟くと、おばさんは首を別の方向にぐるんと傾げ、なにやらぎこちない動きで住宅街の角を曲がっていった。
おばさんが見えなくなると、固まっていたRさんの身体も金縛りが解けたように動かせたので、Rさんも身を翻して全力で走って逃げ帰った。
次の日、学校であの噂は本当だったのだと吹聴して回ると、なんと、他にも数人遭遇してい たということが分かった。
同じぐらいの時刻で、それぞれ全く違う人物に、全く違う事を聞かれたらしい。
噂に詳しい友人たちは、同じ日に遭遇するなんて今まで聞いたことがない、と怖がっていた。
そしてなにより、「答えてしまった子供が居た」というのが話題になっ た。
その子は学校を休んでしまっており、詳しい事情は聞けなかったが、次の日に登校してきた時にみんなで聞いてみても、「そんな事はなかった」とけろっとしていたそうだ。答えたというよりも、「尋ねる人」にすら会っていないらしい。
誰がいくら問い詰めてもその子の答えは変わらず、その様子が全く嘘をついているようには見えなかったため、その子が尋ねる人に答えたというのは誰かの流したデマだ、という結論になった。
その後は特に不審な事は起こることもなく、また、「尋ねる人」の目撃談を再び聞くこともなく、やがて年月は流れていき、変な噂は周りの友達からも、Rさんの記憶からも薄れていった。
そして現在、再び息子さんから聞いたことによって、Rさんは強烈にその日の事を思い出した。
懐かしいやら恐ろしいやらで情緒がめちゃくちゃになりそうだったが、息子さんの話にはまだ続きがあった。
その次の日、息子さんは学校で、かつてのRさんと同じ様に友達に体験を語った。すると、やはり何人かが同じ体験をしていたというのだ。
ここまで聞いてRさんは恐ろしくなってきた。
同じ町の噂が時を超えて再び復活する、というのならまだ話がわかるが、Rさんが子供時代に住んでいた場所と、今現在住んでいる街は非常に遠く離れており、全く別の場所だったからだ。因果関係も何もあるはずがない。
息子さんが学校で他の友達から情報を収集した結果、この街の子供達の間では有名な噂であるらしく、噂の内容は、Rさんが昔に聞いた時とさほど変わっていなかった。
Rさんは、もし次に同じような人に会う事があれば、必ず何を聞かれても知らないと答えなさい、と息子さんに教えたという。
それからしばらく経った頃、息子さんが⻘い顔をして帰ってきた。
もしやまたあの「尋ねる人」に出会ったのかと思っていると、どうも違うらしい。
「尋ねる人」は確かに出現したのだが、それに出会ったのは息子さんではなくその友達で、彼いわく白目で話しかけてきた「尋ねる人」は、他の誰でもない、Rさんだったというのだ。
その友達は家にもよく遊びに来る子だったので、お互いに顔はよく知っている。嘘を付くような性格の子ではないし、息子さんに対しての意地悪で言っているとも思えない。
もちろんRさんにそんな記憶はないし、あんな恐ろしいものの真似をして子どもたちを怖がらせるような趣味もない。訳が分からなかった。
結局その子は噂通り、何を聞かれても「知らない」と答えたそうで、その後も特に身の回りで何かおかしな事は起きていないそうだ。
子どもたちの前にだけ現れるこの「尋ねる人」は一体何だったのか、どういう存在だったのか。
なぜ、Rさんの姿をしていたのか。
結局それら全ては、今に至るまで何一つ分からないままなのだそうだ。
Rさんはこのことがあってから、誰かから物を尋ねられるのが、とてつもなく恐ろしく感じてしまうようになったそうだ。