口裂け女と鬼姫

 当時の我が家は、数年前に屋敷の稲荷様の御神体を家の中から外に移し、 新しく建築した奥の院で祀っていた。

 私達兄妹には、なぜ外に御神体を移したのか詳しい事情は知らされていなかった。
 ​そんな時、私の中に稲荷様が宿り会話を始めるという事が起こった。
 稲荷様の話は 『わしは、この家の照山伏見稲荷大明神じゃ。  わしを貰い受けた先祖がのう、遠路はるばる京の都に行き受け申してきた御神体が、 外に出た事で虫にでも食われ無くってしまうやもしれぬと。それを残念がってのう。 家の中に戻すか、せめて虫の通れぬ箱にでも入れて御神体を守りたいと。そう申すのじゃ』

「家に戻すの? 箱ってガラスとか固い素材の物で守るの?」
 私がそう聞くと 『ガラス。よいのう。それで囲ってしまえば外から入る事は出来ぬ。まあ、ワシはよいのじゃが、この家の先祖が「おしい、おしい」と言うでのう。東北より京の都まで歩いて参ったのじゃ、さぞ難儀な旅路であったろう。無理もないかのう』

 父には相手にされず、私は跡取りである兄に話してみた。
 兄に話している途中でも、稲荷様が体に入り言葉使いや表情がコロコロと変わった。
 兄は暫く考えると、「稲荷様が?でも、苦労して手に入れた宝が朽ち果てるのは 我慢できない。そういう気持ちはわかる。だって歩いて京都まで行ったんだろ。 何か方法を考えてあげた方がいいかもな」そう言った。
 その時、体の中で誰かがニタっと笑う感じがして気持ちが悪かった。
 私の頭の中に、厳重に御神体が密閉され黒い鉄の牢屋に閉じ込められる白狐の姿が見えた。

 次の日、母に話した。 母は困った様な顔で言った。
「稲荷様って御神体と一緒に来た、狐の姿の眷属様なんだと。家の中にいると本来の力が発揮出来ないって言われたんだ。だから自由に動いて守ってもらえるように外に出したんだ。ガラスの箱に入れて密閉なんかしたら稲荷様も閉じ込められるんでないの?  勝手な事は出来ない」
 母が言い終わった途端に私は意識が望楼とし、立ち上がりしゃべりだした。
「良いか! よう聞け! この娘の口は嘘も申せば誠も申す。この世の宝とは命じゃ。命に勝る宝などない。命を軽んずるは煩悩にすぎぬ。命の法に照らし合わせ、真眼を持ってして読み解け!良いな!」
  立っているだけなのに心臓が凄い速さで動いた。息が上がり眩暈がして、言い終わった途端に倒れ込んでしまった。
 あれは誰だろう? 命の法に照らし合わせ真実を読み解け。真実ってなんだろう? 私達が稲荷様を大切にするのは、稲荷様が守ってくれると信じているからだ。
「いつもありがとう」
 小さい頃から、そう思って家族の様に接して来た。
 御神体を密閉すれば、稲荷様は何かに閉じ込められるのかもしれない。
 先祖が稲荷様の力を封じる様な我儘を言うだろうか?  稲荷様より、物である御神体を大切に思うだろうか?  今を生きる命である子孫を危険にさらすだろうか?  私は家で一番大きな鏡の前に立ち、自分に向かって言った。
「稲荷様を困らせる事は出来ない。あなたの願いは聞けない」
 すると、鏡の中の私の顔がニタァと笑い、笑った口の口角がズズ、 ズズと裂けていった。
 口が耳まで裂け、私の顔をした口裂け女は『たばかられぬか』と言った。
 裂けた口をヒクヒクさせながら笑っている。 怖ろしさで体が強張り硬直した。騙された怒りで、奴を睨みつけた。

 こいつは私を試している。舐められてはいけないと思った。
 私達が睨みあっていると、鏡の奥に女房装束を着た御姫様みたいな人が現れた。
 怨霊の面の様な恐ろしい形相で、白い顔の眉毛のない妖怪じみた鬼の様な姫様が、 こちらを睨みながら立っている。
 本当にヤバいのが来たと思った。
 口が裂け女は笑っているだけだが、鬼姫は威嚇しながら近づいてくる。
 鬼姫が急に突進し、鏡の中の口裂け女を大きな木の扇子で引っ叩いた。
 口裂け女からブワッと黒い煙が上がって、かき消えた。 鬼姫が助けてくれたのだ。
 私は緊張と硬直が解けて倒れてしまった。
 頭の中で、妖怪みたいだった鬼姫が優しい顔になり微笑んでいた。 上品で本当に綺麗な人だった。美人は怒ると怖いなぁと思った。

 私は気絶したらしく、母に助け起こされるまで記憶がない。
  あの日助けてくれた女房装束の鬼姫を[姫様]と呼び感謝している。 命の法を語ったのは本物の稲荷様だろう。
 あれから、鏡を見ても口が裂けた事はない。

朗読: 怪談朗読 耳の箸休め

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