山怖、崖の釣り人

先週とある山を登った時の話です。

登山を開始して、ようやく山の中腹にさしかかった時の事。

「さ~て、釣るか~」

突然聞こえた、間延びした皺枯れ声。

小川で誰か釣りでもしているのかと思ったが、この近くに川なんてない事を思い出し、気になって辺りを見渡した。

すると、少し開けた先の崖っ縁に、小汚い格好をした爺さんが、木の釣り竿を崖に垂らしているのを発見した。

が、その出で立ちは明らかにおかしかった。

なぜ川ではなく崖に釣り竿を垂らしているのか?

そしてなぜこんな山の中腹に?

地元民?

以前にもこの山には登った事があるが、この辺りに民家はないはず。

あるとしても山の麓辺り、ここから軽く歩いて二時間くらいかかる場所だ。

格好からしても、登山客ではないの確か。

想像すればするほど不気味に思えて来た私は、その場を直ぐ立ち去ることに決めた。

急いで踵を返し、今夜泊まる予定の山小屋を目指そうと歩き始めたその時だった。

”オォォォォォッ!!”

と、地の底から唸る様な声が、突如辺りに響いた。

周囲の木々が一斉にざわめき、鳥達が鳴き散らかすようにして飛び立っていく。

が、直ぐにまた、静寂が辺りを支配する。

何だ今のは?

額に脂汗を滲ませ、静まり返る森に耳を済ませていると、

「釣れた釣れた、わはははっ、おうおう未練たっぷりじゃのう、無念じゃ無念じゃ、ははははっ」

さっきの皺枯れた声、崖があった方からだ。

なんだか一気に寒くなり、私は身震いしながら急ぎ足でその場を去った。

その日、宿泊した山小屋で夜一杯やっていた時の事、

同じ山小屋に宿泊していた、中年の男性登山客からこんな話を聞いた。

「ここに来る途中、山の中腹に開けた崖があっただろう?あそこな、自殺の名所になっているそうだぞ」

そしてこうも言っていた。

前日に自殺者が出ると、よくあそこで釣りをしている老人が、登山者に何度か目撃されているらしい。

あの老人は、一体何を釣り上げていたのだろうか?

それを知る勇気は、今の私にはない……

朗読: 繭狐の怖い話部屋
朗読: 怪談ロード倶楽部

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